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セミリアイア「晩年」日記

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2021.12.02
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カテゴリ:教師論
Y先生は、担任としては毎朝出席を取るだけ、生徒の進路についての面談などをしたという話は聞いたことがない。授業は、とにかく「伝える」だけ。指導書片手に、予定のことを伝え終わると、後は自習にする。時には30分も自習がある。当然、生徒に学力はつかない。

一度、彼の試験監督に行くと、試験前、生徒が「ア、イ、エ、カ、オ、ウ」などと一生懸命言っている。「何、それ?」と聞くと、「先生!覚えるから邪魔!」と言われた。「あ、ゴメンね」と言って、時間になり問題を配る。まだ後ろの方で「ア、イ・・・」などとゴチャゴチャ言っているので、「こっから先、一言でも声だしたら、カンニングだからな!」と一喝して、試験を始めた。生徒を見ると名前も書かずに、一心に解答を書いている。問題すら読んでいない。

それもそのはずで、試験問題の大半は選択問題。「ア~コ」から最も適当なものを選べ、というヤツだ。英語だから、自分も分かるので一番の問題を見ると、確かに正解は「ア、イ、エ、カ、オ、ウ・・・」と続く。つまり、Y先生は自分の授業で生徒がまともな学力がつかないことは百も承知で、そうかといって試験で赤点続出では、さすがに不味いので、予め出る問題を教えておいたのだ。だから、生徒は英語なのに「ア、イ、エ、カ・・・」などという正解の記号を呪文のように唱えていたのである。

Y先生は決して赤点をつけない。なぜなら、まず赤点をつけてしまうと、追試を作らなければならず、仕事が増えるからだ。そして、その当時の校長もバカだったから、赤点が多いと「教え方が悪いのね」などと平然として言っていたからである。

Y先生は、無事に定年まで勤め、自分の母校に再雇用となった。そこでも同じことをして、「あのおじいちゃん先生の授業はさっぱり分からない」というクレームがずいぶん入ったらしい。

そんな人間が定年まで無事に勤め続けることができたのは、先述した通り、教室は「密室」だからである。

自分が教務部長の時、授業見学週間を作り、同じ教科の他の先生の授業を自由に見学できるようにしたのだが、その時はY先生は、結構張り切ってちゃんと授業をしたらしい。生徒曰く「いつも、他の先生が来てくれればいいのに。ちゃんとやってくれるから」と。Y先生が教えたってどうせ分からないとバカにしていた生徒の方は、すっかり彼の手抜きを見抜いていたのだ。


Y先生はちゃんとやろうとすればできないというわけではないのだ。しかしY先生の論理に従えば、こんなところで自分の能力を使うのはバカらしいから、できる限り手を抜いてやるのが、最も効率的な方法、つまり最善のやり方だということになる。それを実践し続けたのは、ある意味、すごい。だが、それは「近代効率主義」の限界をはっきりと示している。昔、アメリカ車は月曜日に作ったものはすぐ壊れるという悪評があった。分業して効率化を図るというのは、自動車工場も学校教育も同じで、ネジもちゃんとしめない、作業点検もいい加減、とりあえず車体を覆ってしまえば中は見えないだろう、という手抜きで欠陥車を作る工員のような教員の仕事のスタイルは、少なくとも自分より10年早く定年を迎えたY先生の時代は可能だったのである。

自分なら、「ちゃんと教える」か「いい加減に教える」の選択肢を示されたら、後者を選ぶことはできない。努力して「ちゃんと教える」というよりも、自然に「ちゃんと教え」ている。つまり、教え始めれば、できるだけ生徒が知的に面白がるような授業をしたくなる。つまり、Y先生の仕事のスタイルは「労働が人間を疎外する」という工業化時代のマルクス的労働観の上に成立していた、と言ってもいい。しかし、教師は工場労働者ではない。

もちろんY先生のようにではないが、自分も事前に問題を教えておくことはある。

「全文を踏まえて、筆者が『人間という生物の本質』をどう考えているかを要約せよ。また、それについてのあなたの考えを自由に述べよ(20行以内)」というのが、今回の定期試験で、事前に生徒に教えておいた問題だ。問題文は中沢新一の文章である。彼には「オウム真理教」の思想的基盤となったと思われる著書があり、度々、オウムを擁護するかのような発言を繰り返していた。この人の文章がなぜ未だに教科書に掲載されるのか、さっぱり分からないが、自分はこの文章で「文章を書いてあるとおりに読解する段階から、批判的読解の段階へ」という授業目標を立てている。授業もそのように展開した。

20行は字数にすると800字~1200字。採点は面倒だが、生徒がどのような文章を書くか、楽しみにしている。自分の解答は試験後、ここに書いておきたい。Y先生なら、絶対こんな手間の掛かる問題は作らない。





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最終更新日  2021.12.02 04:36:07
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