カテゴリ:日々雑感
隣家が売りに出ていて、びっくりした。その前に、明らかに不動産業らしき人たちが来て、写真などを撮っていたというから、そうなのかな、とは思っていた。
いろいろな話を総合すると、娘、息子夫婦がいて、孫も合わせて4人いる札幌に賃貸マンションを探して、4,5月くらいに引っ越すらしい。 まあ、娘と向こうの長男が一日違いの生まれで、その時にはもう住み始めた年だったから、40年のつきあいになる。引っ越すことを直接聞いていないくらいだから、あまり、親しく付き合っているわけではないが、別に仲が悪いということもなかった。向こうの奥さんが僻み根性が強く、時々意地悪なことはあった。娘が大学に入ったときに、一言も「おめでとう」と言わなかった。こちらは言ったと思うが、幼稚園から高校まで同じ、その高校に補欠合格というあたりから、僻み始めたのだと思う。しかし、それは、しょうがないことである。 二年ほど前、旦那さんが完全に仕事を辞めてから、みるみる気力がなくなっていくのが分かった。時々、畑をしているときなど、話を交わす程度の付き合いである。 自分の場合、趣味も仕事もまだある。そういう老後を送っているのを何となくは知ってはいただろう。 2歳上だと思う。明日はわが身なのかも知れないが、今のところは、何とか元気にやっている。しかし、夏の草取り、冬の雪かき、自分でもやるが、間に合わなくなるとシルバー人材を使う。そんなことをしているのは我が家だけなのだが、以前ほどの頻度ではない。 仕事も終わりが見えている。もともと、新興住宅街という人間関係の希薄なところに暮らしてきたのだし、いつかはここを立ち去る日も来るのだろう。その前に死ぬかも知れないが、別に我が家で家族に看取られながら逝きたいとも思わない。しかし、妙な施設に入って、虐待されるなんて真っ平だし、できるだけ長く元気でここで暮らしたいとは思う。 その少し手前で、まだ気力があるうちに、ここを離れるとしたら、息子のいる鹿児島にしたいなぁと、昨日、妻と電話で話した。できるなら、雪のない暖かいところがいいし、二人の子どものうち一人はそういうところでやっているから、そのそばに中古住宅か、マンションか、場合によっては賃貸でもいいが、そういうところで住みたい。 一つの目処は、仕事が終わりになった時だ。今の仕事から得る収入は雀の涙で、それがなくなっても、どうということはない。仕事に充実感はある。しかし、それがなくなったら終わりにしようとは思う。使用者側の都合で、まだやりたいと思っていても、終わりになることもあるだろう。 そうなった時、ほとんどすべてのものは捨てて、というより家に残したまま二束三文ではあるがそれでもできるだけ高く売って、弓とピアノと着物くらいは運んで、鹿児島のどこかに引っ越す。そこで、またピアノを習ったり、妻ならお花、お茶、自分なら弓など、好きなことをして暮らす、というのが理想の老後だが、さて、そんなにうまくいくものかな。 さっき朝食を済ませた。ずいぶんと品数が多くなり、以前よりおいしい。ただ、コーヒーだけは飲めたものじゃないので、部屋で湯を沸かしている。それでおいしいのを飲み、今日はゆっくりとチェックアウトする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.02.24 07:13:16
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