カテゴリ:時評
昨夜は9時半には入眠し、当然の結果だが2時ころ目覚める。が、特にやることもないし、ストーブを点けるくらい小寒かったので、朝練は止めようと思い、そこからまた一眠り、二眠り。つまりは、ダラダラとベッドで過ごした。
最近、面白い夢をよく見るのだが、内容はこの時間になると断片的にしか覚えていない。昨夜の夢は、健康麻雀で大晦日、年間最優秀になり、お土産の賞品を手に、大学時代の悪友と家に帰る。家では孫もいる大家族で、亡くなった両親もいたような気がする。「オマエの寝る布団ないよ」みたいなことを悪友に言ったのだが、一向に意に介さず、泊まっていくらしい。もと面白いディテールは忘れてしまった。 さて、円は昨日とうとうまた160円台。後半まで進み、37年ぶりの円安だとか。しかし、ドル円だけでなく、ユーロ円も171円台で、これは史上最安値。豪ドルに対しても106円後半と、生保を契約した2年前の97円台から見ると、為替だけで数十万の利益がある。半年前に始めた新NISAも10%くらいの利益を出している。自分たちだけではなく、日本人の個人の資産はどんどんドルやその他の通貨に流出していき、つまりそれは円を売ってドルを買うということであり、それが円安の一因ともなっている。 まあ、長期に運用するわけにもいかない年齢だし、適当なところで外貨資産を円に戻すことになるのだろうが、恐らく、それはまだ先だろう。 経済評論家、アナリストたちは、今年どこかで円高のフェイズが始まり、年末は140円という人もいるが、大体彼らの言うことは長期の観測では外れる。 今の「円安」は、日本の国力が相対的に低下していることが、最大の原因だ、というのが自分の考えだ。子どものころ、高度経済成長の時代を生き、「狂乱物価」の時代も経験した。大学入学の時、学食の定食は90円からあったが、大学院に行ったころは500円出さないと、アラカルトの方式に変わった学食では満足できなかった。 それから、『ジャパン・アズ・NO1』という本がバカ売れした時代、つまりはバブル期に入り、それがはじけ、長い低迷期に日本は入った。就職超氷河期と言われたあたりで、二人の子どもは大学院を出た。それでも何とかやっているのは幸運だった。「格差社会」ということがしきりに言われ出した。 今、首相は「デフレからの完全脱却」を自分がやったかのように言っているが、何のことはない、ここ30年で日本の経済は衰退し、輸入物価が跳ね上がったところに物価高の本質はある。つまり、日本の円では、従来の値段でモノが買えなくなっているのだ。これを何とかするのに「賃上げ」ということをしきりに喧伝しているが、地方に行けば行くほど、また格差社会の下層にいればいるほど、その実感はない。なのに、日々スーパーで物価高は実感している。 しかも超高齢社会日本では、労働力がAIなどによる効率化ではカバーできないほど不足している。消費の主役であった団塊の世代は後期高齢者となり、やがて市場から退場してゆく。残るのは物価高で資産を減らし続けるポスト団塊とその後の世代。その後は非正規の割合がこれまでになく多い団塊ジュニア世代。つまり、今後10年で日本人は消費の担い手として、どんどん弱体化する。その先取り的現象が、今ニセコなどで起こっていることだ。インバウンドにすがって、地元の人たちは生きているが、彼らは一杯1500円のラーメンなどは食べられない。 そういうわけで、自分は1ドル200円という時代は、そう遠くないだろうと考えている。その時に、目減りする一方の年金であったとしても、「機嫌良く」毎日を生きるための手立てとして、せっせと資産をドルに移している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.27 06:37:51
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