ドライ・マティーニの夜
古谷三敏の『BAR レモン・ハート』に「マスターのレシピ」という話がある。ある晩、BARレモン・ハートに二人の客がやってくる。その二人はドライ・マティーニを注文するが、マスターが作ったものはドライ・マティーニではないと難癖を付けはじめる。そして二人は究極のドライ・マティーニとは何かを語り初め、マスターは酒をしらないとからかう。だがマスターと常連客はその二人が単なる知ったかぶりであることを見抜き、逆に二人をやりこめてしまう。そんな話だ。すっかりやりこめられて意気消沈した二人が店を出て行こうとする時、常連客のメガネさんはこんな追い打ちをかけた。 ジンの上にヴェルモットの栓を通過するのが 超ドライ・マティーニだと思っているようだが、その上があるのを知ってるか 棚にあるヴェルモットのラベルをチラッと見て ドライ・ジンを飲むんだ その上が心の中にヴェルモットを思い浮かべてのジンだ二人が出ていった後、マスターはメガネさんにこう語る。 メガネさん、そのジンはドライじゃないねえ 思い浮かべるヴェルモットのボトル(のイメージ)が強すぎるよ心に思い浮かべるものが、時として実際に口にしたものよりも強く残ることがあるように、語られた人の悲しみが、自分が抱えている悲しみよりも心を濡らすことがある。ふと、そんなことを思った雨の一日。