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けらえいこの『あたしんち』で、主人公のみかんが母に
大分の方言で「ちちまわす」っていうのがあるけど、どんな意味? と尋ねる話がある。 母は一応、「殴る」という意味だと答えるが、どうも母自身は納得していない様子。 そして母は手を振り上げながら「ちちまわすぞ!」と、何度も言って、 「ちちまわす」がどういう意味か説明しようとする。 母 「どう? わかったでしょ」 みかん「イマイチ……」 こういう方言独特のニュアンスがうまく伝えられない経験は、 地方出身の人なら一度くらいあるのではないだろうか。 僕が教育実習で出身中学に行った時のことだ。 何人かの先生と雑談をしていた時、僕が京都の大学に通っているということから、 いつしか関西弁の話題になっていった。 その中で、ある先生が「『しばく』ってどういう意味?」と僕に聞いてきたが、 僕は即座に答えられなかった。 「しばく」は、僕も何度も使ったことがあるし、 どんな時にどんな口調でいうかは思いつく。 だけど、いざ説明しようとしたら、その漢字を伝える言葉が思いつかない。 僕が逡巡していると、 他の先生が「『しばく』っていうのは、『叩く』っていう意味でしょ」 と助け船を出してくれた。 僕は曖昧に頷きながら、 (しばくって、蹴ったりもするよな) と思っていた。 僕はどんな風に「しばく」という言葉を使うようになったのかを思い返していくうちに、 多分、これは、赤ん坊が言葉を覚えていく過程に似ているような気がしてきた。 周りでその言葉が使われているのを耳にして、 その言葉がどんな時に使われるのか、 使っている人はどんな表情、どんな口調で言っているのか、 そう言ったことを目にしていくうちに、その言葉の意味を自然に取得していき、 いつの間にか使うようになるのだろう。 頭で理解するのではなく、ニュアンスも一緒に憶えたのだから、 その言葉を他の言葉に置き換えることができなかった。 ニュアンスごと「しばく」の意味を伝えようとしたら、 関西独特の空気からしゃべらねばならず、とても一言でいえなかったからだろう。 そこまで考えて思うのは、日本人が英語ができないのは、 単に読み書き中心の授業を学校で行っているからだけではなく、 その言葉を使われる土地の空気や、そこに住み人への 理解が足りないからではないだろうか。 それは、会話で使われる語彙を教えたり、ネイティヴスピーカーを授業に呼ぶだけでは、 解決できず、もっと何を学ぶか、その姿勢から見直す必要があるような気がする。 実は世界史もその目標として、世界への理解を深め、 国際人を育てることが目的とされている。 だが、実際に使われる教科書は、何年にどんな事件が起こったかをまとめているだけだ。 その事件がなぜ起こったのか、 その事件は後の時代にどのような影響を与え、 その時代の人はどんな世界に生きていたのか。 そう言ったところを見て、 そうした歴史を持つ人たちがどんな価値観、考え方を持っているのか、 考えなければ、国際人養成なんて絵空事だろう。 教育現場に求められているものは時代と共に変わっていっているのに、 実際に行っている授業はほとんど変わっていない。 教師の中には、そうした授業に不満を持って、 自分独自の授業を展開し成功している人もいるが、 そうした例はほぼ全て教師個人の努力で行われていて、 学校側のバックアップはほとんどなく、 中には学校側からストップがかかったりもする。 教育の見直しが盛んに言われているが、 こうしたことから変えていかないと、教育はいい方向に進まないだろう。 教育基本法よりも先に見直さなければならないことは、たくさんある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004.12.17 01:17:03
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