駆け出し記者の一期一会

2008/07/18(金)02:33

展覧会の紹介文

書く(12)

毎週木曜発行のアート関連紙面のうち、 右ページのアート批評は、だいたいはネイティブのアートライターが執筆し、 その隣、左ページの展覧会リスト作成が、当初からの私の担当である。 開催中の展覧会のうち、めぼしいものをずら~っと並べたリストと その中からピックアップして画像付きで紹介するコラムがあり、 関東・関西各3本で計6本、オススメ展覧会の紹介文を載せる。 リストに何を入れるか、コラムに何を選ぶかも自分で決められるのだから、 これはれっきとした編集だと思って取り組んできたが、まあ、新聞の紙面全体から見れば、 きわめて地味なページとして、非正規社員に任されているのであろう。 コラム内の紹介文のうち2本ずつ、毎週毎週書き続けているうちに、通産250本となった。 時々記名で書かせてもらっているコンサートの告知記事と違って、 これらはほとんどが無記名の地味ーな記事である。 事前に記者内覧会などにタイミングよく参加して、見てから書いた場合は署名するが、 それだと、掲載するのが会期が始まってからということになる。 基本的に批評が期待されているわけではないし、そんなことを盛り込めるword数でもない。 だいたい200word前後で紙面上で10数行というところ。 そんな小さなスペースに無理やり自分の感想のようなことを書くために時機を失するよりは、 「これからこんな面白そうな展覧会が始まりますよ!」 ということを事前にお知らせするほうがよい。 というわけで、あちこちから送られてくるプレスリリースを基に書くのだが、 「なーんだ、リリースの翻訳か」と思ったら、それがそんなに簡単ではない。 まず、詳細なリリースの場合、ひと通り目を通すこと自体が大変で、どのみち 全部紹介できるわけではないが、慣れないうちは説明のどこを拾って書けばいいのか さっぱりわからなかった。 また、難儀なのはアート系の文章の抽象的な表現である。特に現代アート。 たとえば、以前に書いた展覧会のリリースの文中にこんなのがあった。 「多量の情報を距離や時間に関わりなく瞬時に交信できる高度情報化は、バリアフリーや新たなネットワークの形成をもたらしました。しかし、意識や経験は記号化され、人と人とのつながり、時間や地域の感覚、自己の存在までもが希薄になるなど、私たちの知覚や認識のあり方に大きな変化をもたらしています」 なんか、わかったような文章でそんなに抵抗はない。しかし、これをそのまま訳そうとすると、 さっぱり意味不明な英文になり、つき返される。直された後の最終バージョンはこうなった。 「情報化時代は、新しいコミュケーションのネットワークを作り出した一方、パーソナルな  相互関係を減らし、自己の存在についての感覚を変えた」 どうだろう?無味乾燥? でもかなり明解である。 このように、無駄な修飾語はそぎ落とされる。限られたスペースだから尚さらである。 日本語だと通用してしまうかもしれない「微妙な雰囲気のある言い回し」は却下。 わかりやすくシンプルに。おそらく、どんな外国語でも通じるエッセンスだけが残る。 さらに、主催者側の自画自賛みたいな形容もカットされる。 プロモーションをそのまま受け売りにするのではなく、もっとニュートラルな位置で書けと。 それでいて、読んだ人に「ほー、面白そうだな。行ってみようかな」と思ってもらうには、 何をどう書けばいいんだ?…と毎週悩みながら書く。もともとアートの専門家でもないしね。 しかも、毎週全然違う内容の展覧会を取り上げるので、そんな日本の仏像やら刀やら浮世絵やら茶道具から、西洋絵画に彫刻に現代アートのわけにわからんインスタレーション作品まで、 すべてに詳しくなるなんて無理である。ま、以前より多少、興味の幅は広がったが。 さて、今日掲載されたうちの1本は今週末から始まる庭園美術館での展覧会 「舟越桂 夏の邸宅 アールデコ空間と彫刻、ドローイング、版画」 内覧会は明日だからそれを見ずして書いたバージョンだが、舟越桂さんの独特の作品は 天童荒太作『永遠の仔』の表紙や、ほかのギャラリーでの個展のハガキで目にしたことがあるし、 旧浅香宮邸である庭園美術館の雰囲気も知っているので、まったく予備知識のないものよりは 多少手がかりがある。 この頃はリリースの文章を読むと、どういう部分がエディターに却下されるか、だいたいわかる。 「舟越桂は、彫刻と同じくドローイング、版画も重要な創造の領域と考えています」 ・・・これはOK。 「かれにとってドローイングは彫刻制作のための単なる習作にとどまらず、  一つの完結した世界を構成しています。」 ・・・この「一つの完結した世界」というのはダメ。 そして、末尾のこういう表現は過剰であり、うんとシンプルにカットされる。 「もうひとつの見どころは、アール・デコ装飾に彩られた庭園美術館の空間と舟越桂の作品がどのように出会うかです。個性豊かな部屋と、そこに置かれた舟越の彫刻、ドローイング、版画は、ひとつの緊密な織物のようにからみあい、ほかでは体験できない稀有な空間と時間をかたちづくります。美術館は魔術的な驚きに満ちた『夏の邸』に変貌します」 で、結局こんな感じになった。(もとの記事はこちら)   庭園美術館で開催の「夏の邸宅:アールデコ空間における舟越桂の彫刻、ドローイング、版画」は日本の現代彫刻をリードしてきた彫刻家の作品を紹介する。彫刻家を父に持つ舟越桂(1951生まれ)は、東京の大学で美術を学んだのち、クスノキ材で人物像の木彫を始めた。舟越は、具象彫刻に対するその新鮮なアプローチにより、日本国内でも、1988年のベネチア・ビエンナーレや1992年のドクメンタIXを含めた海外でも評価を得てきた。彼の彫刻表現の発展は、2006年以来取り組んでいる、謎めいた両性具有でデフォルメされた長い耳を持つ「スフィンクス」シリーズの創造につながった。本展は、「スフィンクス」シリーズからの挑戦的な作品と、このアーティストのキャリアの各時期における代表作を含めた19の彫刻作品を紹介する。このほか、舟越が彫刻と同等に重要な表現形態と考えているドローイングや版画から、40のドローイング作品と20の版画作品も展示される。見る人は、旧浅香宮邸である美術館のアールデコ調の部屋と、舟越のユニークな作品との豊かなハーモニーを楽しむことだろう。 ・・・日本語にすると、ますます味気ない気がしてしまうが、 これで、この展覧会のだいたいの感じがわかって「行ってみよう!」 と思ってもらえるんだろうかね…?

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る