hypothetical story
鈍痛のような漠然とした不安が僕らの言葉には溢れてた。わざとそれを避けても結局はそこに辿り着いてしまう。笑顔を忘れ去って疲れたような顔で自嘲気味に学校の先生をネタに笑ってる。実際その場が楽しくてもあくまで刹那的なものでまた鈍痛のような不安にキリキリと細くなった精神は喰われていく。それでも自分さえよければなんていうご都合主義の蔓延が関係を円滑にしている。わざわざ痛みを摂取するようなことはなくとも細くなった神経はあらゆるところに毛細血管のように広がっていくから少しずつ壊死が起きて鈍感になってありきたりだけど、魚が死んだような目で毎日同じ電車に乗ってた。飽きるほど空を見上げたりしつこいぐらい同じ曲を聴いたり友人に抱きついてみたり大声で笑ってみたり。それらが俺たちに何をもたらした?教師を見ては思ったんだ。こんなヤツには、こんなヤツにだけはなりたくない。でも、心のどこかで恐れてる。同じ社会に生きていて、これだけ同じ空気を吸っているのだからこんなヤツとも共通点があって。一度できてしまった縁があって自分も可能性を秘めていると。反面教師なんて所詮、いやよいやよもなんとやらと似たように。憎しみや嫌悪から生まれているなら。きっとこの手はそんなものしか生み出すことはできないんだろう?あの時つないだこの手もあの子に伸ばしたこの手もああやって縋ったこの手も結局何も与えられずに何も生み出さずにそれこそ破壊と強奪と拒絶と。両手を広げて誰かを招き入れるなんて。僕がやるならきっと十字架のように見えるだろう?翼を失った天使が足を切り取ったって地面に這い蹲っていることは変わらないだろう?だからなにってわけじゃないんだ。そうやって僕らが生きて。僕らの後に残るものはいったい何なんだろうと。考えずにはいられないんだ。もう、こんな思いは誰にもしてほしくないから。