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カテゴリ:いろんな人がいてはりますな
人を嫌いになった初体験は7年前。
「フツウは○○だよねぇ」を連発してやたら文句を言う方だ。 「フツウ子供があんなことしたら親が謝るもんだよねぇ」 「フツウご主人が帰ってきたら夕食すぐに出すもんだよねぇ」。。。 くだらないことによくもまぁそんなに文句が言えるもんだと、逆になんにも気が回らないあたしは感心してしまう。 いつも仏頂面の、あたしよりもずっとお若いはずの彼女は、どんどん口角が下がって道で会ってもにこりともしない。 「おはよう」て言っても軽くおじぎをしてくださる程度だ。 まぁおそらくは、あたしは彼女の規格外で、嫌われてるせいなんだろうとは思うんだけど。 誰かの「フツウ」はヨロズの人の「フツウ」じゃない。 そのことを彼女はゼンゼンわかってないんだ。 誰かの当たり前は、誰かの衝撃。 誰かの常識は、誰かの非常識。 より多くの人と当たり前を共有するほうが、この世の中は生きやすい。 「フツウ○○だよねぇ」 と言われたら「そうだよねぇ」と眉根をひそめて同調できた方が話も弾んで相手も自分も気分がいい。 だけど、それがなんだっていうんだろう。 人と同じ当たり前を、より多く身につけてる人のほうがエライんだろうか?正しいんだろうか? 幸福なんだろうか? あたしが当たり前に感じることを奇異に感じる人がいる。 だからってその人が奇怪な人とは思わない。 その人もあたしを奇怪な人とは思わないでほしい。 あたしが当たり前にできることをできない人がいる。 だからって、その人があたしよりも劣っているとは思わない。 その人もあたしを優れているとは思わないでほしい。 自分にとっての当たり前を貫く。 それに囚われてる人は、敵も多いし生きにくい。 でもさ、 しんどくても、それが実は一番贅沢な生き方。じゃね? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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