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テーマ:宗教的生活(67)
カテゴリ:法喜の教え
蟻とキリギリスの話しは日本人なら誰でも知っている話ではないでしょうか?小さい頃に聞いた覚えがあるはずです。日本人は蟻のようになりましょうというのですが、お国変わればキリギリスのようにというところもあるみたいなのです。将来を考えそれに向かって行く蟻の生き方もいいですし、またキリギリスのようにその場その場を楽しむのもまた人生でしょう。人生とは片方によりすぎてもつまらないものです。
今、私が人はどのように生きるべきかと聞かれたらこう応えます。”今を生きる””人の為に生きる” 「今を生きる」これは蟻の生き方ではなく、キリギリスの生き方みたいで、あの童話を聞いた人は首を傾げるかもしれません。しかし私の話しを聞いてください。我々生物は常に今しか確かな時はないのです。過去をいくら悔やんで見ても、栄光を輝かしく思っても、過去は過去のままなんら変化しません。また過去に振り回され今も未来も悪くなるかもしれません。過去から反省する事も大切だけれども、過去にとらわれてはいけないのです。未来はどうでしょう。いくら先の事を考えても、今如何に行動するかが未来には作用します。また未来は未知なるもの。こればかり考えても何も始まらないのです。今私達が生きているこの時間が一番大切なのです。今日が最後の日かも知れないのに未来を考えるよりは、いつ死んでも恥ずかしくない生き方をしていきたいものです。そうすれば今何が大切か見えてくるのではないでしょうか?生きるということは難しい事ではないのです。今この時間を一生懸命生きれば、それは未来につながるのです。私達はつい忘れてしまいますよね、この”今”と言う事を。”今を生きる”これを実践すれば濃度の濃い生活が出来るのではないでしょうか?時間は巻き戻しも早送りも出来ませんよ。 「人の為に生きる」よい社会を築きたければこれは大切な事です。そして”今を生きる”と常に一緒にしておきたいものです。この二つが揃ってはじめて意味をなすのです。仏教では”人間は生かされている”と考えます。自分以外の自然、動物、人間は全て関わりを持っているのです。決して自分一人で生きていくということは出来ないんです。自分の為に生きている人ほど滑稽な人はいません。なぜなら周りが見えないからです。誰の為でもいいのです。今手の届く人を思いやればいいだけの事です。決して難しい事ではないでしょ?子供が居れば子供の為、彼女が居れば彼女の為、困った人がいれば手を差し伸べるだけ、これだけすれば社会がよくなるだけではなしに、自分の心も救われます。世の中は因果応報です。あなたがよくされたいと思うのなら、まず他の人を助けてあげてください。まさか悪くされたい人はいないでしょう?それなのに人間は他人には冷たいのですよね?おかしくはないですか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年10月18日 21時55分06秒
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