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テーマ:宗教的生活(67)
カテゴリ:法喜の教え
以前何かの本で読んで処女膜があるのは人間とモグラだけというのを知っていたけど、そのときは流してしまった。いま三島の「不道徳・・・」という本を読んでいる。この本にまた処女膜は人間とモグラだけにあると書いてある。以前は流して読んでしまったが、考えてみると不思議ではありませんか?私は人間の体とか純潔教育はたまた性学などを勉強しているのですがこれらをつなげて考えてみることがなかったです。
人間の処女性はかなり議論され尽くしている事だと思いますのであえてこの場では割愛させていただきます。しかし精神面や肉体的特長を論じてみても、なぜ人間以外ではモグラのみに処女膜があるのだろうか?もちろん人間はねずみから進化しているのでモグラともつながりはあります。もし他の生物が処女膜を退化か進化させたのであれば、人間とモグラだけに出来たあるいは残ったのには何か意味があるのかもしれません。モグラと同じ理由か異なるのか知りませんが、共通点があるはずなんです。私はそこを知りたいのであります。モグラに詳しい人居ませんかね? 実は今までは前置きです。 そう私は人並みに本を読んでいます。なぜか興味があるし、知識は尊いものだという心理があるからでしょうか。しかしいくら本を読んで新しい知識を得ても、また本によい事が書いてあってもなんら私は変化することはありませんでした。仏教で悟るということは知識を得ることではありません。知識はいくらあっても足りることもなければ足りないことも無いのです。なぜなら人間とは知識の有無では、はかれない存在だからです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年01月12日 21時29分03秒
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