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1960年代後半に活躍したフォーク・クルセダーズ。「イムジン河」「帰ってきたヨッパライ」「悲しくてやりきれない」などのヒットを放った彼らは京都出身だったり、京都の大学出だったり。
私が高校生だった頃です。 私は彼らを身近に感じていましたが、他の地方の方々はどうだったのでしょうか? 今カンツォーネのことを考えると、京都では何ができるでしょうか? 熱い想いだけでは、、、 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
京都はカンツォーネファンクラブ発祥の地
私はフォークルの「イムジン河」が大好きで、放送禁止後も長い間口ずさんでいました。2002年発売になりなしたが、青春時代に大きな影響を受けました。 京都はS42年3月に日本カンツォーネファンクラブで初めての支部である[京都サークル]が出来た地です。そのプライドをもとに今後も続けて行ってください。 昔 カンッ―ネファンだった人は、廻りにたくさんいます。 多くの方にこのHPを見てもらうようPRが大事だと思います。 という私もこのHPを極めて最近まで知りませんでした。 HP紹介名刺を作り、コンサートなどで渡す、このHPを見ていら方に具体的PR方法を伝授する。全国版のマスコミを利用するなどの活動が大事だと思います。 (2018.03.07 18:17:19)
GO-さん
コメント有り難うございます。 一か月前に怪我をしたり、ちょっと体力的にも精神的にも落ちていて、つい弱気になってしまいました。 確かに「日本カンツォーネ・ファン・クラブ」の最初に支部ができたのは京都でした。その京都支部で知り会った方達が今も来て下さり、何かと協力もして下さって、有り難いことです。 あまり無理せず、少しずつでも進んで行けたらと思っています。 これからも宜しくお願いします。 (2018.03.07 18:56:30)
フォークルに反応して出てきました。フォークルとしての活動はわずか1年でしたが、彼らが残した足跡は大きなものだと思います。「帰ってきたヨッパライ」を、初めてラジオで聞いたときの衝撃は忘れられません。「イムジン河」は、井筒和幸監督の名作「パッチギ」でも印象的でした。「あの素晴しい愛をもう一度」は、フォークル名義の曲ではありませんが、カラオケでよく歌います。
でも加藤和彦さんに続いて、はしだのりひこさんも先日亡くなられ、北山修 さんだけになってしまいました。とても残念です。 カンツォーネに関しては、自分が楽しめたらいいんじゃないでしょうか。 私も、長年そうやってきました。 (2018.03.07 20:16:10)
賀見美一さんへ
自分が楽しくなければ他の人も楽しくないでしょうね。 会のために色々調べたりしていると、思いがけない新しい発見があったりして楽しいです。 時間が許せば、また京都へ来て下さい。 (2018.03.08 14:43:17) |