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2024.07.27
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カテゴリ:観照

新町通を下ると、最初に見るのが「八幡山」。所在地は三条町。

駒札を撮りましたが読みづらいので転記します。
「町内に祀られている八幡宮を山の上に勧請したもので、常には町会所の庭にお宮を祀っている。山の上の小祠は総金箔の美麗なもので天明年間(1781~88)の製作といわれる。水引は総金花鳥風景文の唐織、前掛はかって上下詩文中央に人物風景文の慶寿裂が用いられてきたが、現在では円山応挙下絵の飛鳩図綴錦にかえている。胴掛は雲龍文の綴錦の継ぎはぎ、見送は日輪双鳳人物文の蝦夷錦のものと、藍地雲龍文綴錦のものとがある。欄縁の彫金飛鶴は河原林秀興作と伝える。前面をかざる朱塗鳥居の上には、木彫胡粉彩色の鳩がとまっている。そのほか著名な美術品として海北友雪(1598~1677)筆の祇園祭礼図屏風、六曲片双を蔵している。 京都市」


宵山の常懸けとして前懸に「鳩」綴錦織が使われています。これを見られるのは宵山だけ。巡行の際には別の前懸が懸けられます。
 
 南側の駒形提灯

町会所の座敷に展示された会所飾りを拝見します。(資料1)

飾り台に、山の四隅を飾る房懸け金具と房が展示されています。
4箇一組で、菱、岩、花と称される3種類です。右下の少し小ぶりな7つは、見送の裾の房懸けです。
飾り台の背後の壁面には、水引と慶寿裂の前懸が懸けてあります。
一方、手前には欄縁が置かれています。

さらにその手前に置かれているのは山の舁き棒飾り。舁き棒の先端を飾る「轅先金具(エンサキカナグ)」です。


上掲の慶寿裂は新調されたものですが、会所座敷の西端には、そのオリジナルに相当するものが併せて展示されています。宵山の楽しいのは、このような歴史的な変遷が見られる側面です。


見送は「雲龍波濤図」で江戸時代・宝暦年間(1751~1764)の制作だそうです。

見送の手前に、山ニ搭載される朱塗鳥居の上に止まる木彫胡粉彩色の一対の鳩が置かれています。左側に左甚五郎作のオリジナルの鳩、右側にその復元新調の鳩です。左甚五郎のオリジナルが見られるのは宵山の期間だけ。

鳩の手前に鶴の形をした金物が置かれています。上掲の漆塗り欄縁に取り付けられます
鶴金具の右にある円形の金具は、見送り懸け金具。天保8年(1837)作。

 蝋燭台


山に搭載される朱塗りの鳥居と総金箔の小祠。小祠は天明年間(1781~1788)の作と伝えられています。
この小祠に、八幡宮の御神体・応神天皇騎馬像が祀られています。運慶作だそうです。

この小祠の背後と左側の両壁面にも懸装品(見送、胴懸)が展示されていますが、全体像が撮れないので撮っていません。


会所座敷の北側の庭に、「八幡山」の扁額を掲げた「八幡宮」が祀られています。
普段はここに御神体が安置されています。

後冷泉天皇の勅願により、源頼義が勧請し創始した「若宮八幡宮」が現在の京都市下京区若宮町辺りに在りました。それが豊臣秀吉の命令で東山に移転。遷座を繰り返し、東山区五条橋東五丁目の現在地に移りました。現在の「若宮八幡宮社」です。昭和24年(1949)に陶祖神・椎根津彦命が合祀されたことにより、陶器神社とも呼ばれています。(資料2)

この若宮八幡宮が下京区から東山五条に遷された後に、分祠されてこの町内に祀られたそうです。(資料1)

 吊灯籠
鳩が、向かい合う形で八の字形に意匠化されています。


新町通をさらに下ります。

「北観音山」の駒形提灯が見えてきます。

                                                                                                         駒札
北観音山は曳山です。所在地は六角町。かつては「上り観音山」とも呼ばれていました。
江戸時代の中頃に、障子屋根を取り付けるようになりました。天明8年(1788)の大火で本尊を失うなどの被害を受けますが、直ちに復興。天保2年(1831)に現在のような本格的な大屋根を持つ姿になったと言います。
六角町は、当時三井家などの有力商人が屋敷を構えていたそうです。

巡行のときには、楊柳観音像と韋駄天像が曳山に安置されます。
 
          西側面全景
 
天水引は、今年は「観音唐草図」。雲龍図と隔年に使用されています。
 
下水引は、「関帝祭の図」と伝わり、人物風景は中島来章の下絵だそうです。
二番水引は、「赤地牡丹唐草文様綴織」の復元新調。
三番水引は、「金地紅白牡丹文様唐織」の復元新調。
これで、ともに江戸時代の姿に復帰したそうです。
胴懸は、インド絨毯「斜め格子草花文様」の復元品。
 
四隅の房掛金具は祇園守の意匠です。
 
 
東面の胴懸は、トルキスタン絨毯の復元品。

 
  
裾幕が懸けてなかったので、山建てでの「縄がらみ」の伝統技法が生み出す美を眺めることができました。
山鉾建てには、釘を1本も使うことなく、構造体の部材を荒縄で括って、木づちでたたきながら縄を締め込んで固定していきます。その結果できる結び方がこの美しさです。
基本的な技法は同じですが、​各山鉾により独自の工夫があるようです​
巡行当日は裾幕で隠れてしまいます。宵山でも山鉾により裾幕が既に付けてあり見られない山鉾もあります。

 
六角町には、新町通の西側に「吉田家住宅」(国指定登録有形文化財)があります。
通りに面した1階のかつての店の間の部分です。ここで宵山には屏風祭が行われています。
表の格子戸が外されていて、通りから屏風を眺めることができるようになっています。
 
店の間の北側を通りから西方向を眺めた景色
今年は「南無観世音菩薩」と白抜きで表した着物が吊されています。
     
             ズームアップして、中庭を撮りました。
 
店の間の南側には、西側に玄関の間がつづき、ここにも屏風が飾ってあります。
屏風の手前に粽が角皿の上に盛って置かれています。祇園祭らしい情緒です。

今回初めて、PRチラシを入手しました。吉田住宅という名称も初めて知った次第です。ここは現在、​「京都生活工芸館 無名舎」​と称されていて、建物内部を拝見できるそうです。
ただし、見学予約制で、希望日の3日前までに予約が必要だとか。付記しておきます。 
平成元年(1989)に開館したとのこと。宵山巡りをしたときは、屏風祭をその都度、通りから拝見していたのに、うかつにも知らなかった!

間口が比較的狭く、奥行きがどんと深い、いわゆるウナギの寝床と称される長方形の住宅形式です。

さて、すぐ近くにいつも併せて通りから拝見する町家があります。
 
         
こちらは、通りに面した窓が開放されて、座敷に飾られた屏風を拝見できます。
ここも同様に奥行きが深い町家です。

さて、さらに新町通を下ります。

つづく

参照資料
*祇園祭案内チラシ 2024年
*​祇園祭 祇園祭山鉾連合会​ ホームページ
*図録『京都 祇園祭 町衆の情熱・山鉾の風流』 京都文化博物館 2020
1) ​八幡山​ ホームページ
2)『京都史跡事典 コンパクト版』 石田孝喜著  新人物往来社

補遺
北観音山​ 六角会 ホームページ
京都生活工藝館 無名舎 吉田家​ ホームページ
京都生活工藝館・無名舎​   :「京都観光Navi」
京都 祇園祭 後祭参加の山鉾の組み立て進む​ 07/19 :「京都 NEWS WEB」(NHK)
若宮八幡宮社​ ホームページ
若宮八幡宮社​  :ウィキペディア

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観照 京都・祇園祭 後祭 宵山巡り -1 役行者山、鷹山 & 点描 へ





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Last updated  2024.07.27 00:20:08
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