探訪 京都・洛中 千本釈迦堂周辺を歩く -3 釘抜地蔵(石像寺)・千本釈迦堂
浄光寺を出て再び千本通に戻り、少し南に下がると、「石像寺」があります。ここは「釘抜地蔵尊」と呼ばれるお地蔵様で有名なお寺です。千本通に面した山門の北側に石標が立っています。この石標に刻された「地」に相当する書体の文字が私には読めません。表門には、「家隆山」という山号扁額が掲げてあり、釘抜地蔵尊と墨書された提灯が吊り下げられています。表門を入った左側に駒札が見えます。この石像寺も個人的に探訪していて、拙ブログ記事でご紹介をしています。併せてこちらをご覧いただけるとうれしいです。(スポット探訪 京都・上京 石像寺 釘抜地蔵尊)門を入り、参道を東に進むともう一つ門があります。こちらが本来の山門かもしれません。こちらには一段と大きな提灯が中央に提げてあります。創建は不詳です。弘法大師空海の創建と伝え、重源が中興したともいわれているようです。慶長19年(1614)に西蓮社巌誉上人により浄土宗寺院として再興されたと伝えられています。(資料1,2)本堂(地蔵堂)に祀られている本尊は石造地蔵菩薩像ですが、正面からは拝見できません。厨子に納められている感じです。地蔵尊像の御前立像が見えます。もろもろの苦しみを抜き取ってくださるという「苦抜き地蔵」がなまって「釘抜地蔵」と呼ばれるようになったのだとか。そのことから、本堂の外壁他にはびっしりと釘と釘抜きの奉納額が掲げられていて、ちょっと壮観です。今回の探訪の目的は、この地蔵堂の背後の建物に祀られている本尊の方でした。 石造阿弥陀三尊像が安置されているのです。阿弥陀如来光背の背面に元仁2年(1225)造立の銘があるそうです。二重円光背には梵字が刻まれています。比叡山系石仏の典型例といえるとか。また、観音像の横には同時期のものと推定される弥勒如来像も安置されています。(資料1)お堂には併せて数多くの石仏が安置されています。石像寺という名のとおり、石仏が多いお寺です。地蔵堂を一周しました。南側には塀沿いに不動明王像、地蔵菩薩像が並んでいます。今回写真は撮りませんでしたが、観音菩薩像も隣りに建立されています。 石像寺を出たあとは、再び千本通を西に横断し、最後の探訪地である千本釈迦堂に向かいました。お寺の北側の密集した民家の中の細い道路を縫いながら、周辺のまちなかの雰囲気を感じつつ、西の門から境内に入りました。 この本堂は鎌倉初期の安貞元年(1227)に建立されたものが、応仁・文明の乱などの災禍をもまぬがれた洛中最古の建物だといいます。昭和の修理で、義空上人の願文がある棟札が発見されたそうです。その願文には多数の女性の名前も記されていて、広範な人々の喜捨により、この本堂が建立されたことがわかるそうです。当時は唐様流行期にもかかわらず、この本堂の外観は邸宅建築風の和様を基調としています。(資料1)本尊が釈迦如来坐像ということから、千本釈迦堂と呼ばれて親しまれ、嵯峨釈迦堂(清凉寺)と並び釈迦信仰の中心をなしてきたところです。当日いただいたリーフレットとホームページを見ますと、本堂が建立された安貞元年(1227)に義空上人により開創されたお寺と説明されています。(資料3,4)手許の本によると、「猫間中納言光隆の家卒、岸高なる人が千本の地を捨てて(義空)上人に寄進したので、ここに小堂を構え、一仏十弟子像を安置した」(資料2)のが当寺の起こりとしています。それが承久3年(1221)です。(資料1,2)瑞応山と号し、大報恩寺が正式なお寺の名前です。現在は真言宗智山派の寺院です。この千本釈迦堂も特別公開の折りに、個人的に拝観探訪しています。拙ブログでご紹介していますので、併せてご覧いただけるとうれしいです。 [ スポット探訪 [再録] 大報恩寺(千本釈迦堂) (京都市上京区) ]本堂内部に入りますと、前面の一間は吹き放しの広縁で、内部は周囲一間通りの外陣(外陣)があり、その内側方三間は、中央の方一間が内陣で、その周囲が中陣となっています。内陣に釈迦如来坐像が安置されていて、その本尊の回りを行進できる形の常行堂の形式になっています。この本尊の胎内名に「巧匠法眼行快」と記されていることから、快慶の弟子による造立と判明しています。(資料1,2,3,4)正面には一間の向拝がついています。その左の柱の前に「大根だき」の掲示が出ています。これは、12月7日、8日の両日に、年中行事として成道会が行われ、大根だきがふるまわれるのです(有料)。この大根を食べると、中風封じ、諸病平癒、健康増進祈願になるということで有名な行事です。 本堂から眺めた境内本堂から眺めて東側の紅葉した樹木の先にみえるのがこの「おかめ像」です。その南側に「おかめ塚」と呼ばれる宝篋印塔が建立されています。「おかめ」は本堂を建立した棟梁・高次の妻です。本堂建立にまつわる妻「おかめ」の一言による着想のエピソードと妻の自刃という本堂建立譚があるのです。上棟式におかめの名に因んだ福面を付けた扇御幣を捧げる由来は、この高次の妻おかめの徳を偲び、永久堅固、繁栄の祈願することにあるそうです。(資料3,駒札)逆に、本堂から西側に見えている建物が、この「太子堂」です。 このお堂は、もと経王堂の遺材を用いて、昭和29年(1954)に再建されたお堂です。そのため、お堂の規模からすれば不釣り合いなほどに大きな柱が使われています。大師堂の前に、この駒札があります。経王堂は足利義満が北野社の社頭に建てた「願成就寺」というお寺でした。それは東山にある三十三間堂の倍半という大堂だったそうです。30間×20間という巨大さです。この経王堂は巨大すぎて江戸時代には維持できなくなり解体されて、釈迦堂の修理用材として利用されることになったそうです。(資料1)駒札に説明が記されていますが、大師堂の右前に立つ「山名氏清」の碑です。本堂の東側の外陣には、様々な種類のおかめ像が陳列ケースにびっしりと納めて展示されています。その造形の多様性は一見の価値があります。おかめ信仰の発露がここに集積されているのでしょう。本堂東側の外縁から北を眺めると、境内の北東辺に「千体地蔵尊」が建立されています。 境内に立つ観音菩薩像本堂を拝観後、「霊宝館」を拝見に巡ります。ここには慶派の仏像ほか様々な寺宝が収蔵・保管されています。快慶晩年の代表作である「十大弟子像」、胎内名に貞応3年(1224)定慶作の銘のある准胝観音像を含む「六観音像」、千手観音立像、銅像釈迦誕生仏、棟札、その他です。やはり、見応えがあります。 近くに菩提樹の木があります。 「阿亀(おかめ)桜」の駒札が立つ桜の木 庭の一隅 この千本釈迦堂で今回の探訪は終了です。千本通今出川で解散となりました。ご一読ありがとうございます。参照資料1) 「京都の歴史散策34 ~千本釈迦堂周辺を歩く~」龍谷大学REC講座 当日配付のレジュメ (元龍谷大学非常勤講師 松波隆宏氏 作成)2) 『昭和京都名所圖會 洛中』 竹村俊則著 駸々堂3) 「千本釈迦堂 大報恩寺」 当日拝観のおりにいただいたリーフレット4) 大報恩寺(千本釈迦堂)について :「大報恩寺」(HP)補遺千本釈迦堂大報恩寺 ホームページ みどころ明徳の乱 :「コトバンク」山名氏清 :ウィキペディア快慶 :「奈良国立博物館」快慶 :ウィキペディア定慶 :ウィキペディア肥後別当定慶 :ウィキペディア大根焚きといえば京都千本釈迦堂!みどころまとめ?了徳寺の大根焚きと何が違う? :「フククル」京都・千本釈迦堂で大根だき :YouTube京都 千本釈迦堂 大根炊き :YouTube厄除け大根だき :「京ごよみ」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)探訪 京都・洛中 千本釈迦堂周辺を歩く -1 紙屋児童公園・上品蓮台寺 へ探訪 京都・洛中 千本釈迦堂周辺を歩く -2 千本えんま堂(引接寺)・浄光寺(池大雅墓所)へ