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遊心六中記

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茲愉有人

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2016.11.24
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カテゴリ:探訪

大仏池を回りこみ、少し東方向に上ったところで右折して、大仏殿の方向を目指します。そこで左方向前方に見えたお堂に立ち寄ってみました。冒頭の写真がその建物です。
石段の傍には、「圓光大師二十五霊場」と刻された石標が建てられ、その後に手水舎があります。石標の文字を読みながら、迂闊にも頭の中でうまく結びつかなかったのですが、円光大師というのは法然上人のことでした。


石段を上がり、お堂に近づくと、向拝の向かって右の柱に「東大寺指図堂」の木札が掛けてあります。
指図(さしず)というのは設計図を意味しています。東大寺の大伽藍は、治承4年(1180)に平重衡の軍により炎上します。それを復興したのが俊乗房重源上人です。しかし、戦国時代の永禄10年(1567)、三好・松永の乱で、東大寺は再度罹災します。そして再び大仏殿の再建がめざされました。この時に大仏殿再建の指図を収めたお堂がこの場所に建てられたのです。

正面五間、側面四間、広縁と向拝の付いた建物です。

一方、重源上人は浄土信仰にも篤かった人だったそうで、重源上人は再建途上の大仏殿に法然上人を招き、この南都で法然上人に浄土三部経を講じてもらう機会を作られたのです。それは、建久元年(1190)大仏殿上棟後、大仏殿南廂において、三日間行われたと言います。
戦国時代の罹災の後で大仏殿が復興された後、その時のお堂は寛政3年(1791)に大風で倒壊したそうです。法然上人が東大寺で浄土三部経を講じられたということが機縁となったのでしょう。浄土宗徒の願い・助力により、お堂の建て替えが行われ、嘉永5年(1852)頃にお堂が完成。指図堂の名前を残し、法然上人二十五霊場の第11番として、現在に至るそうです。(資料1,2)

このお堂の拝見は基本的に土日に限定され、予約制によるとか。堂内には「草鞋ばきの法然上人御画像」が奉祀してあるといいます。

 
向拝の木鼻。よく見ると左右の像の表情が異なります。おもしろい。



頭貫の上には、蟇股の部分がダイナミックな龍の透かし彫りとなっています。


お堂の正面に扁額が掛けられ、蟇股には中央に円盤状の形が刳りぬかれています。日輪なのでしょうか。宝珠にはみえない気がします。
 
 第11番霊場としての御詠歌
 さへられぬ光もあるを おしなべて 隔(へだ)て顔なる朝霞かな

 指図堂の屋根の獅子口

 
お堂の正面広縁の左端に僧形坐像が置かれています。
ふつうに考えると、賓頭盧(びんずる)だと思います。
賓頭盧は釈迦の弟子で十六羅漢の筆頭と考えられている人です。「バラモン族の出身。涅槃の境地に入らず、この世で衆生を助ける存在とされる。日本ではこの像をなでて病気平癒を祈る信仰で知られる」(『日本語大辞典』講談社)という存在です。


指図堂から通路をはさみ西側には、紅殻色に門が塗られた門のある「東大寺勧進所(かんじんしょ)があります。ここも普段は非公開です。

江戸時代の三代将軍家光の時代の初めの頃まで、大仏殿は焼失後の再建もなく大仏が露座の状態でした。公慶上人が大仏の修理と大仏殿再建を発願されて、ここに東大寺勧進所を建て、復興活動を始められたと言います。大仏殿復興の寺務所となったのです。公慶上人が全国行脚を行い、勧進に命をかけられた拠点がここだそうです。(資料3)

 
門前から境内を拝見すると、門から真っ直ぐに参道が延び、そのさきにまた門が見えます。門の右側斜め前に大きな手水鉢があります。井戸水を汲み上げ石樋を使い手水鉢に水を注ぎ込む形になっています。

正面の建物の中に阿弥陀堂があり、その他に、公慶上人像を祀る公慶堂、八幡殿、勧進所経庫という建物もあることが、東大寺の境内案内図からわかります。(資料4)

勧進所前から南に丘陵上の凹地を少し下り、左折して大仏殿の南西角への緩やかな坂道を今度は上ることになります。

 草を食む鹿を見て、その後、

 この石群が目に止まり近づいてみました。



  

 
ここに集められていたのは表面に五輪塔や宝篋印塔をレリーフした石塔碑です。
様々な形状の石塔図柄が混在しています。特徴的なものを個別にいくつか撮ってみました。



         

大仏殿の南西角から戒壇院に向かい、東大寺境内の散策後に再び南西角に戻ってきました。これで正倉院展鑑賞の後の主目的とそれに伴う散策が終了です。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 東大寺指図堂 :「法然上人二十五霊場」
2) 華厳宗総本山東大寺指図堂 :「浄土宗」
3) 勧進所 境内のご案内 :「東大寺」
4) 境内案内図  :「東大寺」

補遺
東大寺指図堂 :「奈良観光おすすめガイド」
法然上人二十五霊場 ホームページ
平重衡  :「コトバンク」
東大寺大仏殿炎上  :「嶋ノ左近」
東大寺大仏殿の戦い :ウィキペディア
公慶上人と大仏殿再興  平岡昇修氏 :「サンスクリットへの誘い」
奈良の大仏 奇蹟の復活劇 ~それは少年の涙から始まった~
           歴史秘話ヒストリア :「NHKオンライン」
この春の大和路3 ─ 東大寺公慶堂特別開扉 ─   :「タクヤNote」
東大寺の大仏4657億円 - 現在価格で費用を試算 2010.8.5 :「奈良新聞」
奈良平城京略年表  :「平城宮跡 Quick Guide」

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Last updated  2016.12.09 14:17:03
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