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遊心六中記

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2016.12.12
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カテゴリ:探訪 [再録]
 
                                                                                       [注記:探訪時期・2014年9月]
奈良の史跡探訪に、2014年9月25日(木)参加しました。集合場所は奈良交通バスの「高畑町」バス停のところです。
冒頭写真にある「奈良聯隊跡記念碑」というのが、バス停のすぐ傍で目に止まりました。この記念碑は、奈良地方法務局などが入っている「奈良第2地方庁舎」の前に建てられています。この南側約45,000㎡の地域に、戦前は歩兵第38聯隊が移駐していたのです。その跡地の中に、奈良教育大学のキャンパスができています。右の写真は奈良教育大学の正門です。(資料1)

参加したのはRECの学外講座「関西史跡見学教室(23) -新薬師寺界隈-」です。
午後の半日、訪れたことのある白毫寺・新薬師寺ですが、知らなかった周辺の史跡を含めて、再認識することも多くありました。今回は遅ればせながら、その整理を兼ねてのご紹介です。

奈良教育大学の正門を冒頭に載せたのは、最初の探訪対象がこのキャンパス内にあるのです。
 
それは「吉備塚古墳」です。大学の門が県道26号線沿いに、正門より北方向にもう一つ、通用門があります。その門から数十mほど構内の通路に沿って東に入った左側(北)にあります。「吉備塚」の説明碑が建てられています。写真のすこし土がこんもりと盛り上がった部分あたりが古墳だったところとのことです。
説明碑によれば、吉備真備は遣唐留学生として長安に19年滞在し、その学識の高さを評価されたのだとか。帰国後は春宮大夫として皇太子の教育を担当する一方、大学寮の整備や東大寺の造営に尽くし、天平文化の一翼を担った人物です。

「径約25m以上の円丘と推測されるが、前方後円墳の可能性もある。5世紀後葉から6世紀初頭の埴輪片が確認されている。・・・・主体部は2基の木棺直葬が確認され、第2埋葬施設から三累神環頭太刀、貝装雲珠、挂甲などが出土した。また墳頂付近から熊本江田船山古墳出土鏡など9面の出土鏡と同笵となる画文帯環状乳神獣鏡が表採されている」(資料2)そうです。

 
この後、県道26号線沿いに歩き、能登川を渡り、
  この道標があるところを左方向に進みます。

 白毫寺のバス停があります。


その近くで「白毫寺地区案内板」を目にしました。

 白毫寺の道標があります。
その前に、道標にもでていますが、「覚禅房胤栄の墓」にまず立ち寄りました。
     
この道標から少し先に、これらの道標が道案内をしてくれます。
緩やかな坂道を少し登ると、右手に墓地への階段があります。


 
墓地の一角にあるのが、宝蔵院流槍術の創始者・覚禅房胤栄の墓です。
            
舟形石碑に五輪塔がレリーフされた墓石です。流派累代の墓所として平成19年に整備されたのです。

 近くでみた石仏

 
少し離れた場所ですが、この墓地には同形式の墓石や欠落がありますが箱型の中に地蔵尊をレリーフした墓石などもみかけました。墓所としての古さを感じます。

 

 

 
白毫寺町を進んで行く途中で、石仏像を多く見かけました。


また、この道は「歴史の道」となっていて、その道標や
   

   
案内地図板も設置されています。


こんな風景を眺めながら・・・・・


そして、白毫寺がいよいよ近くになってきました。
道標の傍には、大伴家持の歌が傍に置かれています。万葉集巻20に収載、4297番の歌

  をみなへし秋萩しのぎ さ雄鹿の露別け 鳴かむ高円の野ぞ
     
です。歴史の道の諸処に、その場所付近に関係の深い万葉集の歌が紹介されています。

つまり、白毫寺は高円山のふもとにあり、この一帯が高円野といわれた地です。志貴親王(天智天皇第七皇子)が離宮をいとなんだ場所だとか。「715(霊亀元)年その山荘を寺としたのが白毫寺だと伝える」(資料3)のだとか。

白毫寺はここから坂道を東に上っていった高台にあります。

白毫寺への石段の手前の辻に、ブロック壁で屋根のある覆屋を整備された石仏が目に止まりました。
左手に薬壺を持った石造薬師如来立像が安置されています。
向かって右側には、上部に日と月の文様が彫られ、刻された文字の中に、庚申という文字が見られます。一種の庚申塔が建てられているのでしょう。延宝五年(1674)と十月十六日いう年号・日付が刻されています。
    
屋根の前に掲げられた「薬師如来『幸福の道』」
なかなかすべてをあたりまえに実行するというのはむずかしい・・・・・
だけど、実行できれば、まさに幸福へ導く道となるでしょう。

最後は一種の判じ物の体裁をとって、ルビを振って説明してあります。
ルビの部分を書き出しましょう。

「きはながく こころは丸く はらたてず ひとは大きく おのれは小さく」
味わい深い判じ書きですね。


次回はいよいよ白毫寺です。

つづく

参照資料
1) 歩兵第38連隊
2) 当日のレジュメ資料(龍谷大学REC)
 「関西史跡見学教室23 ~奈良・高畑~」(龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏作成)
3) 『奈良県の歴史散歩(上)』 奈良県歴史学会  山川出版社 p44

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
奈良聯隊跡とその周辺を歩く  吉川好胤氏 :「あやめ池学園南 九条の会」
歩兵第38連隊  :ウィキペディア
胤栄  :ウィキペディア
宝蔵院流槍術  ホームページ
  宝蔵院覚禅房法印胤栄
  宝蔵院墓所 墓碑配置図
宝蔵院流高田派槍術  :「日本古武道協会」
下鴨神社奉納演武 宝蔵院流槍術 高田派 Hozoin Ryu Takada Ha Sojutsu :YouTube
宝蔵院と武蔵  奈良の昔話 増尾正子氏  :「マイ奈良」   
庚申塔  :ウィキペディア
庚申信仰 :ウィキペディア

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Last updated  2016.12.13 21:30:02
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