2017/01/16(月)15:49
探訪 [再録] 近江・彦根城とその周辺 -5 彦根城(山曲輪、西の丸、西の丸三重櫓)
直進部分の突き当たりの石垣と「西の丸三重櫓」
[探訪時期:2014年3月]
山崎曲輪から観音台との分岐を西の丸の方向への坂道を上って行くと、この坂道は鍵形になっています。
出曲輪には、一度左折し、少し直進して、もう一度左折するというジグザクです。
最初の左折後に振り返った石垣と遠景の琵琶湖
左折すると写真のような石垣と背後の「西の丸の櫓」
坂道を振り返るとこんな感じです。
出曲輪側から坂道の突き当たりの石垣を眺めた景色
その石垣に上がり石垣先端近くからの眺望
出曲輪の石垣端から上ってきた坂道を見下ろすとこんな感じです。
かつてはここにも櫓があったのでしょう。「御城内御絵図」(資料1)をご覧ください。
出曲輪。ここは西の丸の「馬出し」の機能を持っていたようです。
ここの竹垣に囲まれているのは井戸と推測
大堀切 橋の上から眺めた大堀切
西の丸と出曲輪の間に深く掘られた堀切です。橋を落とせば、敵がここまで攻め上ってきても西の丸に手がとどきません。
「西の丸三重櫓」の石垣の高さをご覧ください。
石垣の端は切込はぎ算木積でその仕上がりと稜線のたるみが優美です。
この石垣の下部の付近が前回ご紹介の登り石垣に繋がって行きます。
橋を渡ったところの西の丸側の石垣。東側になります。
この橋の下の大堀切。その斜面は登り石垣に繋がって行くのです。
橋を渡り、西の丸に入って行く虎口の入口付近から振り返った景色
通路の石垣端からの眺望
西の丸への入口は「喰違虎口」になっています。
虎口を入ったところの最初の枡形奥から入口方向の眺め
西の丸に入りきり、「喰違虎口」を眺めた景色
西の丸の東側の石垣端からの景色
「西の丸三重櫓」を西の丸内から眺めた景色
西の丸に設置された説明板
「西の丸三重櫓」は「西の丸の西北隅に位置し、東側と北側にそれぞれ1階の続櫓を『く』の字に付設しています。」(説明板)
現在のこの櫓は、築城当初のものではなく、江戸時代後期の姿だそうです。(資料2)
赤字番号7の黒線の折れ曲がった部分が「喰い違い虎口」で、その右側が「西の丸」です。
赤字番号6の上のところに、「出曲輪」と記されています。
次回は、この三重櫓の見学からご紹介します。
つづく
参照資料
1) 御城内御絵図 :「彦根市」
2) 「彦根城ガイドブック」 彦根市教育委員会文化財部文化財課 p10
【 付記 】
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。
補遺
虎口 :ウィキペディア
石垣の積み方 :ウィキペディア
石積、石垣の積み方の大分類 :「NatureLand 悠 建築設計室」
石垣(いしがき) :「広島から行く 歴史の旅」
石垣の石積技術と石工 富山城の石垣 :「『富山城研究』コーナー」
金沢城、石川門枡形の石垣 :「金沢九十九景」
加賀百万石金沢城の石垣めぐり :「日本百名城の旅」
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