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遊心六中記

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2017.02.22
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カテゴリ:探訪 [再録]

心経堂から下って行くと、まず目に入るのは、「月見亭」です。        [探訪時期:2013年10月]
  
瀬田川を眼下に眺められる場所に建てられています。
 
月見亭の板敷の間には、玉座と記された標識が置かれています。

 
月見亭のすぐ傍から、瀬田川を眺望するとこんな感じです。「石山秋月」になります。

                  
月見亭を通路側から見ると、駒札が掛けられています。
駒札に記されていますが、保元年中(1156-1159)に後白河天皇行幸の折りに、この月見亭が建立されたようです。その後、幾多の変遷があるようですが、1687年3月に再建、1712年8月に台風で倒壊し、1713年2月に月見亭の再建ということがわかっているそうです。(資料1)

月見亭に繋がる形で、北隣りに芭蕉庵があります。松尾芭蕉がたびたびここに仮り住まいして、多くの句を残したと言われています。ただし、現在の建物は近代に建立されたもの(1883年)とみられるようです。松尾芭蕉ゆかりの茶室だとか。

 多宝塔

 
源頼朝は石山寺を厚く庇護し、寺内の堂塔の整備を行ったようです。この多宝塔は建久5年(1194)の墨書銘があり(須弥壇墨書銘)、頼朝の寄進と伝えられています。初重(下層)は三間四方の方形、二重(上層)は円形平面で円柱12本で円形を成しているそうです。初重内部には大日如来坐像を安置しています。「初重内部内陣に須弥壇、天井は折上小組格天井。柱や天井廻りなどの壁面に、仏像や草花などの極彩色の絵が描かれている」のです。(資料1,2)

        


多宝塔本尊の大日如来坐像については駒札に詳しい説明がなされています。
多宝塔の建立されているエリアには石塔がいくつも建立されています。
                      
多宝塔の西に、
 
源頼朝(右)と亀谷禅尼(左)の供養塔としての宝篋印塔があります。
    
亀谷禅尼は頼朝の乳母であり、中原親能の妻だった女性です。中原親能は、源平の乱においては、頼朝の命を受けて戦った武士です。石山寺の毘沙門天に戦勝祈願して、成就したことから勝南院を建立したとか。頼朝は、乳母亀谷禅尼の請によって、多宝塔、東大門、鐘楼などを寄進したともいわれているようです。

南東の一隅には、「めかくし石」と呼ばれる石塔があります。
駒札には、「目かくしして、この石を完全に抱けば祈願成就と云う」と記されています。駒札には制作を「平安朝時代」としていますが、鎌倉時代後期作という見方もあるようです。
 
多宝塔の東に「若宮」という小社が建てられています。


 
この近くにも、宝篋印塔が2基建立されています。


多宝塔の正面の石段を下ると、経蔵の建てられているエリアになります。
石段を下りるとき、右側(石段に向かえば左側)に、

紫式部の供養塔と松尾芭蕉句碑が並んで建立されています。
 
紫式部の供養塔は三重宝篋印塔の様式です。鎌倉時代作。
初重の塔身には四方仏が半肉彫りされています。相輪部分が失われたのでしょう。代替として、五輪塔の空風輪が載せられているようです。当初から三重だったかどうかは不確定という見方もあるようです。一方、笠石のサイズや手法の共通点から、当初から一具という考察もなされています。(資料5)

  芭蕉句碑

  あけぼのはまだむらさきにほととぎす   元禄3年(1690)(真蹟:続余韻所載)

この句には前詞が付いています。(資料3)
「勢田(多)に泊りて、暁、石山寺に詣。かの源氏の間を見て」

元禄3年というのは、芭蕉が元禄2年46歳で「奥の細道」の旅に出て、その行程を経て、大津の無名庵で越年し、翌3年1月3日に膳所を去り、伊賀に戻っています。
そして、再び近江に出てきて滞在したのです。
 3月中旬~4月5日    大津にて主に無名庵に滞在。
 4月6日~7月22日    幻住庵滞在「幻住庵記」執筆。
 7月23日~9月12日   大津無名庵に滞在。
 9月13日~25日      堅田・本福寺。
   27日         京都へ。
   28日         無名庵に帰庵。
    30日~10月      無名庵を発ち、旧里の道すがら
元禄3年は近江で過ごしている時期です。その中で、無名庵に滞在中に石山寺に詣でたということでしょうね。 (資料4)

明瞭に石山に関係した句として、元禄3年に芭蕉は次の句も詠んでいます。
   石山の石にたばしるあられ哉  (麻生)    
底本に「これは何がし岩本坊といへる許に残し置き玉ひける短冊の句なり」と注があるとか。(資料3)

 (資料6)
この後、すぐ傍の経蔵を見てからさらに下っていきます。

つづく


参照資料
1) 石山寺 :「京都風光」
2)『滋賀県の地名 日本歴史地名大系25』 平凡社 p252-253 
3)『芭蕉俳句集』 中村俊定校注 岩波文庫 p217、p229
4) 芭蕉の足跡 奥の細道 :「芭蕉と伊賀」  
5) 滋賀県 大津市石山寺一丁目 石山寺の石造美術(その1):「石造美術紀行」
6) 当日入手の「巡拝供養券」とリーフレットに記載

【 付記 】 
「遊心六中記」としてブログを開設した「イオ ブログ(eo blog)」の閉鎖告知を受けました。探訪記録を中心に折々に作成当時の内容でこちらに再録していきたいと思います。ある日、ある場所を訪れたときの記録です。私の記憶の引き出しを兼ねてのご紹介です。少しはお役に立つかも・・・・・。ご関心があれば、ご一読いただけるとうれしいです。

補遺
秋月祭1日目 2016/09/16  :「石山寺 四季のたより」
中秋の名月 -石山寺(後編)- :「MEMORY OF KYOTOLIFE」
 KAZUさんが、「石山寺・月見亭から仰ぎ見る仲秋の名月」を詳しく写真レポートされています。2010年9月23日訪問の記事。検索していて出会ったブログ情報、Wonderful!  
石山寺秋月祭・源氏物語.wmv    :YouTube
源氏物語 石山寺秋月祭              :YouTube
石山の石にたばしる霰哉 :「芭蕉DB」(伊藤 洋氏)

多重の宝篋印塔の類例がどこに所在するのだろうか? 
ネット検索でいくつか所在を見つけました。ご参考に列挙してみます。
52.都島神社・石造三重宝篋印塔 :「大阪市」 
宝珠寺三重宝篋印塔(二基):「石仏と石塔」 
金禅寺三重宝篋印塔 (大阪府豊中市):「日本の石塔」 
滋賀県 米原市朝妻筑摩 朝妻神社宝篋印塔及び層塔(その2):「石造美術紀行」
総持寺二重宝篋印塔 北塔 :「石仏と石塔」
 
   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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Last updated  2017.02.23 21:43:15
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