3750007 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

遊心六中記

遊心六中記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

茲愉有人

茲愉有人

Calendar

Category

Comments

Archives

Favorite Blog

まだ登録されていません
2017.04.10
XML
カテゴリ:探訪

亀山城址の西側入口を出たあたりは、縄張図では「三の丸」です。ほぼその区域が現在「内丸町」という地名になっているところです。府道402号線沿いに北に向かいます。市立図書館中央館と亀岡市総合福祉センターの間を道路沿いに歩いて行くとき、冒頭の「亀像」が目にとまりました。


この案内図でいえば、オレンジ色の番号6を出て、左斜め上の図書館という方向です。まず目指すのはオレンジ色の番号4の方向です。

上掲の亀さんは、後で画像を確認しますと、亀岡青年会議所が設置された「-タイムカプセル-『2020 未来の亀岡へのメッセージ』」という銘板が基壇に嵌め込まれています。2001年に設置されたものです。亀は亀岡市のシンボルのようです。ゆるキャラが「明智かめまる」で、亀岡市観光戦略課所属ということ、頭部が亀の甲羅で、キャラクターとして亀のイメージというのも、今回知ったところです。(資料1)
 
図書館の先の交差点を横断して道路を眺めたのがこの画像です。この交差点あたりが三の丸の北辺で現在の道路の一部が外堀に相当するようです。交差点辺りに「西門」があったと思われます。

 
左の画像は、上掲の右画像の西側です。ローソンの店がある西側を南方向を撮った道路が右の画像です。地図を見ると府道6号線の一部になっていますが、この画像に見える道路あたりは、旧山陰街道の一部にあたるそうです。そして、この通りの西側に外堀が南方向に巡ります。後ほど探訪します。


この道路を逆に北に少し入ると、前方に「亀岡ベタニヤ教会」があります。このあたりが、外堀と惣堀の北西側でつながる場所にあたるようです。この教会の前に今は幅が狭いですが川があります。それが惣堀の名残りです。
 
教会の入口の左側、道路際に「子安地蔵尊」の道標と「三年坂」と記された駒札が立っています。
「古地図によるとこの辺りに『三年坂』とある。安産祈願のため、子安地蔵を安置する北町地蔵尊に参詣する人が通ったことから産寧坂、これが転じて三年坂と呼ばれたとされる」。駒札の文字の不明瞭な部分を推測して、判読しました。
この駒札から京都の清水坂にある三年坂(産寧坂)を連想してしまいました。
さて、この教会前を左に進み、右折しますと、冒頭で触れたオレンジ番号6のところ、「北町地蔵院」です。

 
お堂の全景が撮れませんでしたが、お堂の屋根の鬼板には卍の文字が陽刻されています

鰐口の丁度上、中央に掛けられた扁額の文字を私は判読できませんが、その左に「地蔵院」の扁額が掛けられています。左端の額が左の画像にある「地蔵院霊像記」と題した縁起です。
 右端は地蔵菩薩の図像額です。
お堂は閉まっていますので、本尊を拝見できませんが、この額の図像がそれにあたるのでしょう。
          
お堂の傍には、「地蔵院」案内板や駒札が設置されています。
当日のレジュメとこれらの説明から、次のことがわかります。
*元は真言宗智積院の末寺である如意山菩提寺の本尊だったこと。この寺は江戸時代まで存在した。
*以前は、追分村に寺があり祀られていたが、明智光秀の亀山城築城により、現在地に移された。
*地蔵菩薩像は坐高83cm。両腕を曲げて胸の前で、宝珠と錫杖を持ち、左脚を踏み下げて蓮台の上に半跏した姿で現されている。平安時代後半、12世紀前半の造立と推定される。洗練された定朝様式の彫技のみられる。
*大雨の時に水中より現れたとの伝承をもつ伽羅陀山地蔵尊と呼ばれる。
*老ノ坂峠に祀られている子安地蔵と同木・同作とも伝えられる。
*この像が左手に持つ宝珠の中には宇賀神が納められているという。

                
       お堂の蟇股と木鼻    蟇股はちょっと興味深い造形です。

向拝の柱の礎石に、反花の文様が使われています。
 
お堂の傍に、地蔵尊を祀る感じの小祠があり、手水舎の水槽も保存されています。

古地図を参照すると、かつてはこの位置が惣堀の北西端になり、地蔵院の寺域が広くとられていたことが推測できます。(資料2)
 

北町地蔵院のすぐ左奧に、亀岡祭山鉾の一つ、舁山(かきやま)の「鍬山」の収蔵庫があり、「北町」の案内板も設置されています。
亀岡祭は10月24・25日だそうで、このときに山鉾が建てられ、祇園囃子が響くそうです。「鍬山」は、「丹波を開拓した鍬山大明神を御神体としてお祀りされています。また、文化8年(1811)に新調された鍬山を飾る胴幕はイギリスからもたらされたもの」だそうでうです(案内板より)。京都・祇園祭の亀岡バージョンがあるのを今回初めて知りました。これもこの探訪の副産物です。

ここからは、かつての惣堀沿いに巡ります。




 
                         途中で見かけた駒札「五軒丁
 
「大円寺」を訪ねます。(オレンジ色の番号7です)
 


 本堂
鏡智山と号する浄土宗の大円寺は、天文22年(1553)、足利義輝の外護を受けて、専誉秀光(周公)和尚を開山として、川北に建立されたそうです。明智光秀が亀山城を築城した折、城下のこの地に移されたと伝わるそうです。ここは穴太道の要衝となる場所になるとか。
小早川秀秋が亀山城主となった折には、寄進した五箇寺の一つでもあるそうです。
寛永と元禄に火災に2度遭遇し、現在の本堂は1710年に再建されたものだとか。(資料2,説明板)
建物を見ると、近年改修されていると見うけました。
    
正面に山号の扁額が掛けてあり、本尊は阿弥陀仏立像が祀られています。

 
本堂の蟇股は素朴な深い彫りのものです。

本堂で説明いただいたのですが、珍しい仏像がこのお寺に伝来しているのです。それは「鋳鉄製薬師如来坐像」です。鉄仏の作例は京都では珍しくて貴重な仏像になります。「全身一鋳で、鋳型を前後に合わせる。左手先は後補。定朝様だが、鉄仏の在銘品は13世紀以降に限られている」(資料2)。鎌倉時代の造像です。
ここに伝来する鉄仏との同范仏は、京都市右京区山ノ内の念仏寺ドイツのケルン東亜美術館に所蔵されているそうです。三像の中では、ここの鉄仏は「左腕衣文が突線(彫り直し)となることから後鋳と考えられる」(資料2)といいます。
                         
本堂の鬼瓦と飾り瓦 屋根の葺き替えがあったのでしょう。新しいものです。

                        
山門を入った右側に「薬師堂」があります。
ここには、薬師如来像」が安置されています。「亀山薬師」の扁額がお堂の正面に掛けられています。もとは亀山城の天守付近に祀られていたそうですが、天守を建てるにあたり、追分村に移され、その後にこの大円寺に移されたという経緯があるようです。(説明板、資料2)
 
本尊の薬師如来像です。厨子の扉内側に十二神将像が取り付けられています。厨子の扉の内側を彩色図像で荘厳するというのは多く見かけますが、小彫刻像を取り付けてあるといのも迫力があり、惹きつけられます。

       
本堂に向かって左斜め前方には覆屋の中に石造六地蔵菩薩像が安置されています。

 
山門を入った左側の築地塀沿いに、名号碑と五重石塔が建てられています。
名号碑には南無阿弥陀仏の名号が刻まれています。この書体の形式、私には珍しいものです。左下に「徳本」と刻されています。
上掲の門前の画像に「念仏行者 徳本上人遺跡」という石標が立てられています。

徳本上人について調べてみて、こんな説明を入手しました。
”徳本上人は厳しい修行を行いながら南無阿弥陀仏を唱えて日本全国を行脚し、庶民の苦難を救った江戸時代の念仏行者で、上人の書かれた「徳本文字」、想像を絶する「荒修行」が特に有名です。”(資料3)
門前の石標、徳本と刻された名号碑、この説明を関連づけると、名号の書体が「徳本文字」であるようです。

”徳本上人の書かれた「南無阿弥陀仏」の文字は丸みをおび、終筆がはねあがり、縁起が良いといわれ、徳本文字と呼ばれています。”という説明が後に続きますので、多分そうなのでしょう。補遺に見つけた関連資料をご紹介しておきます。
また、「名号碑は、上人が巡教された土地に多く建てられていますが、建立の狙いは、旅の交通安全、病魔退散、子育て、古戦場の慰霊等です。」とも説明があります。

この徳本上人のことも、事後に具体的に知った学びの副産物です。

大円寺の最後に、山門の屋根を眺めて講座参加者の後を追いかけました。
 
子連れの獅子の飾り瓦がほほえましいです。
 


つづく

参照資料
1) 明智かめまる  :「ゆるキャラグランプリ」
2)「京都の歴史散策 32 ~亀岡を歩く~」 龍谷大学REC 講座レジュメ
    2017.3.9 龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏 作成
3) 徳本上人 日高町 :「わかやま観光情報」

補遺
亀岡祭 山鉾行事 ホームページ
亀岡祭 :「亀岡市観光協会」
徳本行者 :「和歌山県 日高地方の郷土史」
「松本の念仏塔と念仏行事 調査報告書」 松本市教育委員会  pdfファイル
   この報告書の31ページに「徳本と徳住」の見出しによる報告箇所があります。
徳本上人の遺跡  
徳本上人の碑  :「熊野学の森」
【德本上人六字名号碑】

      ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


探訪 京都・亀岡を歩く -1 JR亀岡駅、南郷公園(亀山城跡北側外堀周辺)へ
探訪 京都・亀岡を歩く -2 亀山城址の見学 へ
探訪 京都・亀岡を歩く -4 穴太口・外堀跡・秋葉神社・旧山陰街道と町通り、心学持養社跡・宗福寺ほか へ
探訪 京都・亀岡を歩く -5 京町天満宮・古世地蔵堂・羽衣山鉾・毘沙門堂・聖隣寺・宗堅寺・御土居・称名寺 へ
探訪 京都・亀岡を歩く -6 亀山城外堀(古世親水公園)・形原神社・南郷地蔵ほか へ







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.04.16 09:35:11
コメント(1) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X