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遊心六中記

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2017.05.09
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カテゴリ:探訪

方丈庭園を拝見した後、阿弥陀堂の外観を眺めました。その後立ち寄ったことのない黒門坂まで北の境内を探訪したのが前回です。再び阿弥陀堂の前まで戻ります。

前回の境内案内図に今回ご紹介する境内の南側に色の丸を追記しています。
黒丸のところが阿弥陀堂の位置です。阿弥陀堂の南東方向に「手水舎」があります。
冒頭の画像は手水舎の南東から撮ったものです。丁度その背後が阿弥陀堂になります。

この手水舎では、水の注ぎ口が蓮形になっています。南側から撮りましたので、前回ご紹介した大きな石灯籠が北方向に見えます。右の白い部分が本堂の修理に伴う仮設塀です。
                  
手水舎の蟇股は草花文の透かし彫りが施され、頭貫と木鼻は文様が少し深く彫られています。

手水舎の床は石板が四半敷に敷かれています。幾何学的に美しい。


手水舎の西、阿弥陀堂からは南に、この多宝塔があります。赤い丸を付けたところ。
 
「霊塔」と記された扁額が正面に掲げられています。調べてみた範囲では、いつ頃建立されたのか不詳です。資料がありません。
                  


多宝塔は「法華経の見宝塔品の説に基づいてつくった塔」だそうです。(資料1)
二重の塔に見えますが実は一重塔だとか。下は「裳階(もこし)」なのです。塔身は円形であり裳階は方形です。上下を白い漆喰の亀腹(饅頭形)が接続部分となっています。下層は方三間で、中央に板扉、左右は腰高連子窓が設けられています。
宝形造りの屋根の四隅に宝鐸が吊られ、相輪の上部には水煙に代わり3段の花輪(かりん)が付けられています。

手水舎の前を南に進むと、三門横の女坂を登りきった辺りの境内端になります。そこから南側は垣根があり中には入れません。(水色の丸を付けたところ)
 
垣根越しに境内地の景色を撮りました。
東側に鎮守社があり、西側には拝殿が見えます。

石畳の先に見える建物の入口に扁額が掲げてあるので、デジカメのズームアップで撮ってみますと、「真葛庵」と記されています。このあたりから南は「真葛が原」と呼ばれたことに由来するのかもしれません。
 
この境内地の異なる一隅に眺めた石碑です。
左の画像の石碑の文字は私は判読できません。課題が残りました。
右の画像の石碑は、私の好きな詩人の一人、坂村真民さんの有名な詩句です。

  念ずれば花ひらく


泰平亭(休憩所)の前を通りすぎ、境内を東側に歩むと、「寶佛殿」が北面する形であります(青色の丸を付けたところ)。境内を横切った北側には御影堂(本堂)が位置します。

宝佛殿前を通り過ぎ、北東側から建物全景を撮ってみました。
この建物が建造物として特に説明がないのは、平成4年(1992)に造立された納骨堂だからのようです。「堂内には阿弥陀如来像・四天王が安置されており、地下にはご遺骨が奉安されます」(資料2)。何度も見ていても、この記録整理をするまであまり考えていませんでした。

         
東には、池がありその石橋を渡り、石段を上がったところが、子どもの頃から知っている「納骨堂」です。
    
こちらは昭和5年(1930)に造立された御堂です。遺骨が合祀で納められている納骨堂です。


池の傍から撮った「経蔵」です。(黄緑色の丸を付けたところ)
本堂の東南に位置します。三門と同じく元和7年(1621)に建立されたそうです。(資料3)
方三間、単層で裳階が付いた宝形造りの建物で、本瓦葺きです。この画像では分かりづらいですが、下層の外側に柱が建ち並び、裳階を支える吹き放しになっていて、基壇上の外廻廊になっています。

非公開ですので内部は知りません。手許の本では、次のように説明してあります。
「内部は鏡天井、床は瓦敷とし、回転式の輪蔵には宋版の一切経五千六百余巻が納められ、また長押・天井・板壁等には狩野山楽・主馬等の画家によって極彩色の唐草模様が描かれている」(資料4)と。
知恩院のホームページには、この一切経が徳川二代将軍秀忠の寄付によるものであることと、八角輪蔵であることがわかります。他の大寺の輪蔵で説明を読んだのと同様に、「この輪蔵を一回転させれば、大蔵経を読誦するのと同じ功徳を積むことができるといわれています」という一文が記されています。経蔵内部の画像がサイトのページに載せてありますので、アクセスしてご覧になるとよいでしょう。(資料3)
イメージが膨らみます。

八角輪蔵の事例は、三井寺を探訪した折に拝見しています。拙探訪記の再録でご紹介しています。

勢至堂の前まで行きたかったのですが、閉門時刻になりました。
またの機会に・・・・ということで、未探訪箇所と併せて、また訪れるつもりです。

閉門時間間際になったため、女坂の方を下れず、寶佛殿傍の坂道(自動車道)を下り、三門前に出ました。
 
和順会館を左に眺めながら、三門まえの「知恩院道」を西に下ります。

 

知恩院に行くとしても、この道を利用することは少ないのです。「知恩院のムクロジ」という駒札が立てられているのを初めて知った次第です。京都あたりは、ムクロジの分布北限に近いとのこと。これほどの大木になることは稀だそうです。昭和58年(1983)6月1日に京都市指定天然記念物に指定されています。

赤い丸を付けたところですが、「新門」が設けられています。

          
この新門は高麗門の形式です。4月にご紹介した「壬生寺」の表門がやはり高麗門の形式です。

新門は東大路通から少し東に入った位置に建てられています。
知恩院道から東大路通を横断して、少しだけ北にずれた道に入ると、そこは「新橋通」です。

知恩院の総門はどこか? それは、この新門よりも北になります。
前回ご紹介した「黒門坂」を下った先の「黒門」から神宮道を横断し、西に向かう「華頂道」の西端に「知恩院総門」があります。

総門の門前を白川が流れていて、少し南で白川は北東から西に流路を曲折します。
曲折した白川沿いの道が「白川北道」です。
白川北道を西に進み、花見小路通で左折して少し、南進し、信号のある交差点で右折して白川南通に入り、少し歩けば「辰已大明神」に至ります。4月に白川の桜をご紹介した折に触れています。

探訪記がリンクするところで、一旦「知恩院」のご紹介を終わります。
いくつか残した課題は、機会を作ってまた、探訪したいと思っています。

母に連れられて訪れ、子どもの頃から見知っている知恩院、されど知らないところが未だに多い知恩院です。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 『図説 歴史散歩事典』 監修 井上光貞  山川出版社  p156
2) 寶佛殿 ご納骨のご案内 :「知恩院」
3) 経蔵(重要文化財、内部非公開) :「知恩院」
http://www.chion-in.or.jp/04_meiho/ken/kyo.html
4)  『昭和京都名所圖會 洛東-上』 竹村俊則著 駸々堂 p235-241

補遺
裳階 :「コトバンク」
裳階(もこし) :「社寺建築にみる建築組」
多宝塔  :ウィキペディア
多宝塔  :「Flying Deity Tobifudo」
輪造   :ウィキペディア
長谷寺 輪蔵 :「鎌倉の寺院古建築めぐり」
輪蔵の画像検索結果 

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

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その点、ご寛恕ください。)


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Last updated  2017.05.09 17:37:44
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