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遊心六中記

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2017.06.26
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カテゴリ:観照 [再録]
 
南観音山に続くのが、「鯉山」です。              [撮影時期:2014年7月]
「登龍門」という金言を題材にした山です。中国には、黄河上流の急流地点である龍門の滝を登った鯉は龍になるという伝説があります。そこで、立身出世のためには通らねばならぬ関門という意味で「登龍門」という語句ができたそうです。

左甚五郎作と伝わる鯉がこの山の上で生き生きしています。
宵山の展示で観るよりも大きく感じるから不思議です。
  
巡行ルートの交差点では、舁き手によりくるくると山が回転させられ、見物客は前懸、胴懸、水引、見送などがを一通り観られるというメリットがあります。
鯉山では16世紀にベルギーのブラッセルで製作された1枚の大きな毛綴を切断し、組み合わさせて、前懸、胴懸、水引、見送などに利用されたのです。
後祭の宵山巡りのブログ記事で鯉山をご紹介した折りに、詳しく記しています。

これは東面の胴懸です。西洋の毛綴を中央にして両側に明末あるいは清朝初期の中国産の綴織が組み合わされています。西洋と東洋の合体です。都の町衆にとっては、いずれも舶来品という視点で統合されたのでしょうね。異質の組み合わせがおもしろいところです。                              
                           山の後に鯉山の荷車が続きます。

 「役行者山」
役行者が一言主神を使って、葛城と大峰の間に石橋を架けるという伝承を題材にした山です。
修験道の行者・山伏装束の人たちが巡行に加わっています。山伏が河原町通から四条通に歩を進めるところです。

水引は西山勘七作の唐子遊図。西山氏は綴錦の名手として評価の高かった人だとか。
二番水引は萌黄(もえぎ)地龍文図。正面には壽が織り出されています。
前懸は牡丹胡蝶図と雲龍文様との三枚継ぎで、平成9年(1997)に復元新調されたもの。


役行者(神変大菩薩)は真松の下、朱色の山洞内に坐っています。
向かって左側の朱傘の下に一言主神、右側の朱傘の下に葛城神(女神)がそれぞれ立っています。

 
一言主神は、しゃぐまを被った鬼の相貌で表現されていますので、金色の斧を持つ手は、指が3本で表現されています。胸元には中啓をさし、腰には御太刀を帯びています。                      
一方、葛城女神は、両手で金色の輪宝を輪台に載せて捧げています。これは諸禍摧破(さいは)円満無彊(むきょう)を象徴しています。

葛城女神のはおる紺地紗・長絹の直垂には金糸で鳳凰が刺繍され朱色の組紐が付いています。(資料2)


                     胴懸は雲龍波濤文様の綴錦です。

見送は金地唐美人図綴錦です。これは昭和57年(1982)から使用されている復元新調品です。


                     山の最後が「黒主山」です。
歌人で六歌仙の一人である大伴黒主が桜の花を仰ぎ眺めている姿を表現しています。謡曲「志賀」を題材にしたものです。

水引は雲龍文様の繻珍、前懸は萬暦帝即位の折の御服と伝えられる古錦を復元した五爪龍文様錦です。

 

   

胴懸は草花胡蝶文様の綴錦。見送は牡丹鳳凰文様。見送は平成16年(2004)に復元新調されたものです。

 

そして、最終を飾るのが150年ぶりに復活した「大船鉾」です。

1864年(元治元年)の禁門の変により、御神面・懸装品・金弊・楫以外の悉くを焼失したのです。大船鉾は1441年(嘉吉元年)に建立され、1788年(天明8年)に天明の大火で御神面以外は悉く焼失。1804年(文化元年)再興という苦難の経験を経ているのです。
 
 四条河原町での辻回し  

関係者の人々は長らくこの日を夢見てこられたことでしょう。
  1997年(平成9年) に囃子復活
  2006年(平成16年)に懸装品のみ宵山で飾り席として展示
  2010年(平成22年)に宵山の飾り席にご神体を展示
  2011年(平成23年)に祇園祭山鉾連合会に正式参加
  2012年(平成24年)に御神面を納めた唐櫃と囃子が巡行に参加
こんな経緯を辿られているのです。(資料3)

       大楫
猩々緋に金糸刺繍で五爪の雲龍を描いた華麗なもの。(資料2)
            

これで2014年の祇園祭のまとめの再録を終わります。
2016年の祇園祭は点描のまとめとしてこちらのブログに、同年に掲載しています。
2013年の祇園祭のまとめの再録分とともに、併せて、ご覧いただけるとうれしいです。

ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 「平成26年度祇園祭山鉾参観案内書」宵山にて入手の配布資料
  「祇園祭 宵山・巡行ガイド2014」 発行・祇園祭宵山会議
2) 『祇園祭細見 山鉾篇』 松田 元 編並画  発行所・郷土行事の会
3) 歴史年表  :「大船鉾」(公式サイト)
 
【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
鯉山   山鉾について :「祇園祭山鉾連合会」
役行者山 山鉾について :「祇園祭山鉾連合会」
黒主山  山鉾について :「祇園祭山鉾連合会」
大船鉾  山鉾について :「祇園祭山鉾連合会」
鯉山町衆 公式サイト
役行者山保存会 公式サイト
黒主山 公式サイト
大船鉾 公式サイト

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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観照 祇園祭点描 -6 役行者山 へ      ← 2016年
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観照 [再録] Y2013・酷暑の記憶 祇園祭 -4 鯉山 へ
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Last updated  2017.06.26 22:45:26
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