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遊心六中記

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2017.07.01
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カテゴリ:探訪 [再録]
 
                               [探訪時期:2013年6月]
信楽院の後、昼食休憩のフリータイムに。馬見岡綿向神社傍で一旦下車できました。午後の集合地点を確認した後、休憩時間を利用し一足先にまず少し探訪してみました。その時撮った写真を含めて、探訪行程の中でご紹介します。
午後は殿町通と神社との参道がT字形に交差する地点が集合場所でした。というのは、馬見岡綿向神社から西へ数分のところにある御菓子司で、いが(毬)饅頭の試食が組込まれていたのです。冒頭の画像がそのお店です。
 
いが饅頭は日野名物のお菓子なのです。この名前、初めてです!

紅白に彩られた見た目も素朴なお菓子   
「あんこを御団子で包み、押しつぶし、片面にもち米を載せ、蒸してあるおまんじゅうです。」 この画像は、お店の中で大きく一口食べた後に撮りました。甘さ控え目のこしあんが入っていて、やわらかくて素朴な味という趣きです。甘党ですのでぺろっと食べてしまいました。栗の毬(いが)になぞられて「毬饅頭」と称されているのだそうです。
お店の方にお聞きすると、このおまんじゅう、150年位前から当店では作っているでしょうというお話でした。ここにも、地元の老舗がありました。

お菓子では「でっち羊羹」も日野名物です。お店に並んでいます。でっち羊羹は近江商人に係わる土地で作られてきたもの。日野商人のこの地もその一つなのです。故郷を離れ、各地の出店ででっち(丁稚)奉公をしている丁稚どんが、藪入りで帰郷し、お店に戻るときに故郷の土産として、お店の主人へ母が持たせたのが始まりではないかと伝えられているとか。元は、竹の皮で包んだ蒸し羊羹です。

このお店のリーフレット   

                    
お店には、「ひろしま菓子博2013」に出品された菓子材料による創作菓子作品が展示されていました。
「滝の宮」と名付けられています。(有)かぎや菓子舗・植田真之介氏の作品です。
京都の御所の西側にある京菓子資料館で糖芸菓子としての創作菓子の展示を何度か見たことをふと思い出しました。

 
お店の前の通りの反対側に建てられた看板のところ、実は石灯籠があり下って行く階段があるのです。看板のある側からどんと谷底に下って行く感じの地形なのです。
この石灯籠に陰刻されている名称が「滝之宮」でした。

この創作菓子はこのお宮さんを写しているのでしょう。このお宮も探訪したくなりましたが、またの機会に・・・・・
馬見岡綿向神社にご参拝の折には、かぎやさんにもお立ち寄りください。

 
再び、馬見岡綿向神社の石標の建つT字路まで戻ります。石標左の常夜燈の棹をご覧いただくと、表側は「綿向大明神寶前」(宝の旧字使用)、裏側は「仁正寺家中」と陰刻されています。このあたりから、歴史の時空が広がります。それはまた後ほど・・・。
北方向に進んで行く参道に対し、殿町通の先に中町通、裏町通と、北西・南東寄りの道が並行して横切っています。

脇道談です。参道を進んで行くと、独立の建物が次ぎ次ぎに連なる大きな屋敷が目に止まります。その屋敷の前方一角に白い築地塀で囲まれた一角があります。
 
「笠懸の宮」です。北側端に「笠懸社」の扁額が懸かった門があり、中には小さな社が北側寄りに祀られています。
 
塀の屋根部分の鬼板の中央にご注目。綿向神社の神紋の変形バージョンのようです。
  
その北側に、大きな屋敷の門扉があります。「ギャラリー仁正寺藩」という表示が懸かっていました。参道から見える屋根の鬼板にはこの紋が・・・・これって、佐々木家紋に繋がるのでは・・・・。


ネット検索してみると、日野商人屋敷で旧山中正吉家だとか。その広壮さには驚きです。日野商人恐るべし・・・・。

 
通りの角に見えたのが、日野の曳山を保管する山倉。ここは西大路の曳山です。
 
入手資料に掲載のこれら曳山が各地域にある山倉でそれぞれ保管されているようです。現在、馬見岡綿向神社の春の例祭、日野祭に登場する曳山はリーフレットに掲載の16基だそうです。
後でネット検索してみると、日野町曳山一覧の資料が「日野町」ホームページからダウンロードできました。こちらからどうぞ。

ついつい脇道にそれました。

神社に向かうと左手側に屋敷門が木々の陰に見えます。
        
説明板を読んでなるほど!でした。
蒲生氏郷が伊勢に転封され、小田原合戦後の「奥州仕置」でさらに会津黒川に配置替えとなります。氏郷は後に会津若松と名を改めます。その若松の名前の由来がこの辺りだったのですね。
これは、今回の周辺足跡というこの探訪本来の一環に連なります。

脇道にそれた序でに、今回の探訪で入手した資料をご紹介しておきましょう。日野町エリアの史跡探訪には様々な有益でお手軽な資料が発行されているのです。
 
日野観光協会を軸にして、これら資料が手軽に手に入ります。さらに新規版が出ていることでしょう。
 
これらリーフレットは、蒲生氏郷公顕彰会(左)、近江日野商人館(右)が発行されているもの。
たとえば、「日野まちなか散策まっぷ」(A3二つ折り)の裏表はこんな感じで情報満載です。
 
地図の左端、銅像イラストの下に描かれた近江鉄道日野駅からずっと右手に水平に伸びていくように描かれた道路が殿町通なのです。
そして、地図の右端から、このイラスト地図では南北の通り2筋目、つまり倉のある町屋と神社のイラスト図の中間あたり、赤丸の見えるところあたりが、馬見岡綿向神社のロケーションなのです。

JR近江八幡駅からの地理については「ブロガーツアー日野ルート全体図」を。

               探訪出発時点でいただいたレジュメ資料からの引用です。

伝若松の森趾から少し北に歩くと、いよいよ馬見岡綿向神社です。

つづく

<観光情報発信源>
日野観光協会 ホームページ
近江日野商人館 館内の案内 :「日野町」ホームページ
蒲生氏郷公顕彰会 :「近江歴史回廊」
近江日野観光ガイド :「日野町商工会」
ギャラリー仁正寺藩(旧山中正吉邸) :「polish+」

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
京菓子資料館 ホームページ
日野まつり・蒲生郡日野町 :「滋賀文化のススメ」

前回の補足情報として
韋駄天 :ウィキペディア
韋駄天 :「語源由来辞典」
八大竜王 :ウィキペディア

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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Last updated  2017.07.10 11:47:34
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