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カテゴリ:探訪
この場所は、烏丸北大路交差点の南西側を撮ったものです。地下鉄「北大路」駅に集合し、まずはこの地点に移動。ここが今回の探訪の起点となります。 今回もREC「京都の古寺社を巡る」という探訪講座に参加しました。その折の記録整理を兼ねて、ご紹介したいと思います。 烏丸北大路を起点に、かつては御土居があったと推定できる地に沿った道路を南に歩き、そこから寺町通沿いにあるいくつかの寺社を拝見・探訪して、出町柳近辺を終点とする行程でした。 鴨川の西側堤防上は「加茂街道」です。鴨川と烏丸通のほぼ中間あたりに、加茂街道とほぼ併行する道路が南に延びています。この画像の白線の引かれた道路です。この道路がかつては御土居が築かれていた場所の一部と推定されているそうです。 豊臣秀吉が京都を大規模に都市改造し、その一環として京都を防御するために天正19年(1591)に周囲に土塁(御土居)を築造しました。御土居の幅は20m前後、高さは4m以上もあったのです。(資料1) その遺構が主に洛北の各所に残っています。それ以外はすべて取り壊されて、その痕跡が道路として使われている所を除くとほぼ市街化して建物ができています。 御土居跡の道路を南に進むと、幅の広い「紫明通」と交差します。 この景色は紫明通から鴨川の流れる東方向を眺めた景色です。 紫明通を横断し、道沿いに南進すると、鴨川に架かる「出雲路橋」の北西方向に所在する「京都市交響楽団」の黒っぽい建物の傍に至ります。左の画像は歩んできた道を振り返った景色です。この鞍馬口通の北側の所で御土居は二重になる形で分岐していたそうです。右の細い道を進んだのですが、こちらは鴨川に近い方の土塁跡に残された通路です。鞍馬口通に抜けます。 細い通路を抜けると、鞍馬口通に出ます。道路の先に見えるのが「出雲路橋」で、西側の堤防上が南北の加茂街道です。橋方向には登りの坂道になっています。 出雲路橋西詰の木の傍に、石碑が見えました。デジカメのズームアップで撮ったのが右の画像です。 調べてみると、「師範桜碑」でした。「志波無桜碑」と刻されています。 「賀茂川堤の桜は京都府師範学校教職員・生徒,同附属小学校児童による植樹に始まる」そうで、「賀茂川葵橋より御園橋に至る両岸の堤防に桜楓を植えることが職員会議で発議され」たと言います。発端は日露戦勝記念なのだとか。(資料2) 鞍馬口通を西に進みます。少し先に最初の探訪崎「上善寺」があるのです。 その手前に、北に向かう道路が見えます(左の画像)。このあたりが二重の御土居の間あたりになるようです。南側(右の画像)には、通りに面して地蔵堂があり、浄土宗の「西光寺」のお堂が参道の奧に見えます。 「上善寺」は鞍馬口通の北側で山門が南面していて、寺町通の北端に位置することになります。 山門は通りから北に奥まって建てられていますので、門前には枡形の長方形の空間があり、鞍馬口通との境界に橋の幅は広く、長さは溝蓋程度という形の石橋を架けた形になっているところが、ちょっとおもしろいところです。 この枡形の東端に「七番 地蔵尊」の石標が、西端には「贈正四位入江九一外七名首塚 アリ」と刻された石標が立っています。元治元年(1864)「禁門の変」の戦いで戦死した長州藩士の墓だそうです。(資料3) 駒札に記されていますが、ここは「千松山遍照院」と号する浄土宗のお寺です。その沿革は、貞観5年(863)、円仁により千本今出川の地に、天台密教の道場として創建されたことに始まると伝えられているそうです。文明年間(1469~87)に、後土御門・後奈良両天皇の戒師となった春谷盛信(しゅんこくせいしん)が再興し、後柏原天皇(在位:1521~1526)の勅願寺とされたことが、江戸時代の地誌に記されているとか。(資料1,3,駒札) 文禄3年(1594)に寺域を現在地に移し、浄土宗に改宗されたと言います。豊臣秀吉が御土居の内側に諸寺を移転させて、現在の「寺町通」を作らせた一環だったのでしょう。 山門を入ると、北に真っ直ぐ延びた参道の先に、南面する本堂が見えます。今回この本堂は拝観していません。本尊は阿弥陀如来坐像です。 頭貫上の蟇股 右側の木鼻 山門を入ると、すぐ右側にこのお堂があり、比較的大きな石仏が祀られています。 「天道大日如来」と墨書された提灯が提げられています。お地蔵様と同様に、前懸がいくつも掛けられていますので、全体像を見仏できないのがちょっと残念です。鎌倉時代の造立と推定される石造大日如来坐像です。(資料1) この小堂の北東方向で境内東端に、新旧2つのお堂が並んでいます。 この2つともにお堂としては地蔵堂です。新しいお堂は六角堂のようです。 新しく建立された地蔵堂にこの扁額が掲げてあります。山門の大きな寺号標に刻された「第一番六地蔵尊」が安置されています。 「鞍馬口地蔵」と称される京都六地蔵巡りの一つです。明治初年までは深泥池の辺に祀られていたものが、こちらに移されたといわれています。(資料1,3,駒札) ここでは、京都六地蔵巡りの8月22・23日のうち、22日夜に六斎念仏の奉納があるそうです。(資料3,4,駒札) 拝観の折に、「八百年の伝統行事 卍 京の六地蔵めぐり」というリーフレットをいただきました。 そこに「六地蔵縁起」(六地蔵大善寺所蔵)が説明されています。そこから要点を抽出してみます。 *朝廷に仕える参議左大辨の小野篁は894年、48才の時、大病にかかり仮死状態になり地獄の世界を行き、地蔵菩薩に出会う。 *小野篁は、大病から快癒後に地蔵菩薩の利益を末法の衆生にこうむらせることを発願し、木幡山の桜の一大木から六躰の地蔵尊像を刻み、伏見六地蔵の地に安置した。 *後白河天皇が1157年に平清盛に勅命し、この六躰を都への街道の入口六ヶ所に六角堂を建てて分置くさせた。 街道の入口六カ所というのが、奈良街道(伏見六地蔵)、西国街道(鳥羽六地蔵)、丹波・山陰街道(桂地蔵)、周山街道(常盤地蔵)、鞍馬街道(鞍馬口地蔵)、東海道(山科地蔵)です。つまり、保元年間(1156~59)に鞍馬口地蔵が深泥池の辺に祀られるようになったことになります。当時は「深泥ケ池地蔵(みぞろがいけじぞう)」と呼ばれていたようです。(資料4,駒札) こちらは南側にある古い方の地蔵堂です。 「観世音菩薩」の扁額が掛けられています。現在は観音堂として使用されているようです。 お堂の正面奧に安置された「観音菩薩立像」です。その前に置かれた台の正面中央に「卍」の記しが見えます。卍のマークは地蔵菩薩と繋がりますので、このお堂は元は地蔵堂として使われていたのでしょう。 体躯が厚く一木造で内刳を施されていて、衣文は浅く、12世紀の造立と推定されているのです。(資料1) この像に向かって右側に十一面観音菩薩立像も安置されています。 柱に掛けられた幡の陰になり部分的にしか拝見できないのが残念ですが、ズームアップで撮ってみました(撮影可でしたのでうれしいかぎり)。 こちらも一木造だそうですが、内刳はしていない仏像だとか。平安後期の造立と推定されているそうですが、彫刻が全体的に少なくて、素朴な感じです。(資料1) その右隣りに、すごく素朴な合掌した立像が安置されています。ちょっと奇妙な取り合わせでもあります。しかし、素朴さの中に魅力がありますね。円空仏でもなさそうな気がします。どこにも説明がありませんでした。 こちらのお堂の屋根の頂点部の露盤・伏鉢・宝珠は至ってシンプルです。これもまた珍しい感じを受けました。 このお堂の手前南側にある覆屋は何かなと近づくと、井戸です。 観音堂と井戸との間、築地塀の前に北面して、数多くの様々な石仏が安置されています。 この石仏群をスポット撮りしましたので、ご紹介します。 左の画像は、中央の前に立つこのお地蔵様です。側面から見ると、かなりの厚みで背面近くまで彫り込まれています。古い時代に作られたもののようです。 右の画像は、この石仏群の中にこれだけが「南無阿弥陀仏」の名号を刻んだ碑だったと思います。 最後列の中央左に地蔵菩薩立像が見えますが、その左側に、「十三仏」を彫りこんだものもあります。 様々な石仏をゆっくり眺めているゆとりはありませんでした。 これらの石仏は他の寺と同様に、京都市内の地下鉄工事、道路工事、市内の再開発などで地中から出て来たものが多くあり、ここに集められて安置されたものが多いのかもしれません。 上善寺を辞す前に、山門を眺めておきましょう。 屋根の棟と降棟の鬼瓦 屋根を支える蟇股は比較的シンプルな板蟇股が両端に使われています。左の画像の手前の部分の組物の名称が私にはわかりません。手許の本ですぐに一致して同定できる記載が見あたらず不詳です。課題が残りました。 門扉は丸形と菱形の飾座金具が使われて頑丈そうな造りです。 山門前に枡形の空間を作る築地塀が道路に面して側面を見せる屋根部分を眺めると、三つ巴の模様入り巴瓦と鬼瓦には跨鬼が使われています。 上善寺を出て寺町通に入り、南に進みます。 つづく 参照資料 1) 龍谷大学REC「京都の古寺社を巡る 33 ~寺町北部の寺社~」 2017.10.14 当日の配布レジュメ (元龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏作成) 2) 師範桜碑 :「京都市」 3) 『昭和京都名所圖會 洛中』 竹村俊則著 駸々堂 p51 4) 「八百年の伝統行事 卍 京の六地蔵めぐり」 当日入手の資料 補遺 天道大日如来 :「京都通百科事典」 天道大日如来 :「烏丸かわら版」 京の六地蔵めぐり :「京都観光チャンネル」 観光ルート:六地蔵めぐり :「京都観光Navi」 深泥池 :ウィキペディア 深泥池 :「京都市情報館」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝! (情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。 その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。 その点、ご寛恕ください。) 探訪 京都・洛中 寺町北部の寺社を巡る -2 天寧寺・西園寺・出雲寺 へ 探訪 京都・洛中 寺町北部の寺社を巡る -3 光明寺・阿弥陀寺・十念寺・仏陀寺・本満寺 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2017.11.19 22:16:24
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