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カテゴリ:探訪
上品蓮台寺を出て千本通を下って行くと、千本通廬山寺手前で西側の商店街に、空地が見え壁の傍に「小野篁御霊跡 千本えんま堂 引接寺」と刻された寺号石標が建てられています。山門はなくそのまま境内となり正面にお堂が見えます。 お堂の正面に「引接寺」の扁額が掲げられていて、屋根の丸軒瓦には「引接寺」の文字が記されています。 「光明山歓喜院引接寺」と号するお寺です。本尊として閻魔法王が祀られています。そこから「千本えんま堂」という通称で呼ばれ親しまれているお寺です。 ここには個人的に既に探訪し、拙ブログでご紹介していますので、併せてこちらからご覧いただけるとうれしいです。 [スポット探訪 京都・上京 千本えんま堂(引接寺) 閻魔法王・紫式部供養塔・地蔵供養池ほか] できるだけ重複を避けてご紹介します。 11世紀に叡山惠心僧都の法弟、定覚上人が創建し、13世紀に再興されたといわれています。定覚上人は「二十五三昧を行い、蓮台野に墓所を設けた人は皆、仏により浄土へ導かれるよう発願したとする伝承が鎌倉時代には確認できる」(資料1)そうです。浄土へ導くことを「引接(いんじょう)」ということから寺名が付けられたのです。引接は「引導」と同じ意味合いだとか。駒札には「諸人化導引接佛道」の道場として開山された旨が記されています。 応仁の乱で当初の閻魔法王が焼失し、長享2年(1488)に仏師定勢(じょうせい)が造立した二代目の閻魔法王が現在安置されているものだそうです。堂内は撮影禁止でした。 引接寺のホームページに本尊の写真が載っています。こちらからご覧ください。 お堂は閻魔王宮を模しているといわれていて、正面中央に高さ2.4mの大きな閻魔法王、右脇に司令尊、左脇に司録尊が安置されています。両脇の背後の壁面には、地獄の様子を描いた板絵があるのですが、歳月を経ているせいでかなり見づらくなっています。 また、日本を訪れたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスがこの寺を訪れ、閻魔法王と壁画を見聞した印象を記しているそうです。フロイスの観点からは、嫌悪すべき像を多数の人々が参詣しているという風に見えたのだとか。(資料1,2,3) どういう風に記しているのか、読んでみたいものです。 閻魔法王等を拝見した後、境内を巡ってみました。 冒頭に載せたお堂の正面左に、逆円錐形の石柱が見えます。 その背後、お堂側にこんな像が置かれていたことに今回気づきました。 涙を流す童像。何を暗示しているのでしょうか。賽の河原で泣く童でしょうか・・・・。 「賽の河原地蔵和讃」には、こんな一節があります。(資料4) 河原に明け暮れ野宿して 西に向いて父恋し 東を見ては母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とはこと変わり 悲しき骨身を透(とお)すなり お堂の背後の境内地に「地蔵供養池」が設けられています。 数多くの様々な地蔵石仏がびっしりと池の傍に安置されています。8月には、この供養池で水塔婆を流し迎え鐘をつく「お精霊迎え」の行事(8/7~8)が行われます。「お精霊送り」の行事(8/16)も行われています。 この池の北隣にこんな像が並んでいます。 左の方は大黒様と恵比寿(夷)様の石像。右側には童女風の紫式部立像が建立されています。 紫式部像は、その北側にある石塔に関連があるからでしょう。 境内の西北隅に「紫式部供養塔」と伝えられる九層石塔が建立されているのです。 この石塔は至徳3年(1386)に円阿上人の勧進により建立されたという刻銘があります。 「初層には裳階が中間に入り、上部は別材の柱を設け、内部には鳥居形の中に胎蔵界四仏の種子を刻み、下部には顕経四方仏を陽刻するが、弥勒は菩薩形となる。基礎には地蔵菩薩をめぐらしている」(資料1)という形式になっています。 そしてこの石塔をおおい包むように4月半ばに白い花を咲かせる「普賢象桜」の名勝の地としても知られているのです。 「この桜の色は淡く、花弁の中から茶の芽のような双葉が出、茎が長く垂れさがるのが、あたかも普賢菩薩の乗る白象の鼻のようであることから呼ばれるに至ったという。一説に鎌倉の普賢堂にあった名木を移し植えたので、一に普賢堂桜と称するともいわれる。」(資料2)と手許に本には記されています。 反射して見づらいですが、こんな説明も傍に掲示されています。 説明文の要点を抜き書きしてみましょう。 *「普賢象桜」には古来二種ある。一種は嵯峨小倉山の「二尊院ふげん」(山桜系) もう一つがここの「えんまどうふげん」(里桜系)。普賢象桜発祥の地である。 *この桜は房ごと落ちるために実も種も取れない。一種の突然変異種である。 *室町時代には多くの公達たちがこの花を見に訪れたという。 *応永15年(1408)の春、足利義満の北山殿に招かれた後小松天皇が途中でこの引接寺に立ち寄り休息したおり、寺僧がこの桜の枝を手折ってきて天皇に差し上げた。桜の見事さに感嘆し、その後義満にこの桜を見に行くことを勧めたという話があるとか。 *相国寺の僧・横川景三が漢詩を詠んでいる。 七年不見普賢堂 七年普賢堂を見ず 蹀亦東西難過墻 亦東西を蹀して墻を過ぎ難し 乱後逢花春似夢 乱後花の春に逢うは夢に似たり 一枝晴雪満衣香 一枝の晴雪衣に香を満たす 漢詩を我流で読み下してみました(素人読みですので、間違っているかも・・・・・)。 横川景三は室町時代の中期から後期に生き応仁の乱の最中に壮年期を送った禅僧です。 7年もの間普賢堂桜(普賢象桜)を見ることができなかった。西軍からの防御のために東軍が設けた垣根を越えて、東から西のここまで足を延ばして歩いてくることもまたできないことだった。応仁の乱が終わり、花の咲き誇る春にここで巡り逢えるのは夢をみている思いがする。晴れた日の雪のように淡くて白いこの一枝の花が、私の墨染の衣をその香りで満たしてくれる。そんな夢心地の思いを詠じたのでしょう。 (文脈から考えて、説明文中の漢詩の「蝶」は「蹀」だろうと解釈しました。) 境内の北東側に鐘楼があります。この梵鐘も円阿上人の勧進により作られたそうです。 南北時代の康暦(こうりゃく)元年(1379)の銘とともに、平安創建・鎌倉再興の来歴が鐘の池ノ間に記されているそうです。また大工藤井國安が製作したとの刻銘もあるそうです。(資料1,2) (鐘の側面の写真も何枚か撮ってみましたが、斜め下からでは文面を判読できるような写真がうまく撮れませんでした。) ここでは、毎年5月1~4日に、京都の三大念仏狂言の一つである「ゑんま堂狂言」(京都市登録無形民俗文化財)が公演されます。ここの狂言は、ほとんどの演目にセリフがあるというのが特徴だとか。狂言は四十数種目あるようです。「花盗人」がえんま堂狂言特有の狂言と言われています。一度拝見したいものです。 あとの2つは、壬生寺と嵯峨釈迦堂(清凉寺)の狂言で、無言の狂言です。 千本えんま堂を出ると、千本通を東に横断して、「浄光寺」を訪れました。 浄土宗のお寺です。所在地は寺之内通千本東入ル北側、新猪熊町です。 ご住職がおっしゃっていましたが、「浄光寺」というよりも、「池大雅の寺」と呼ばれることが多いとか。現在は小規模なお寺です。山門から正面にお堂が見えます。 本尊は阿弥陀如来坐像で、平安末期の造立と推定される半丈六(142cm)の仏像です。 本堂でご説明を拝聴し、池大雅が書写した「一代起請文」を掛軸仕立てにされたものを併せて拝見しました。「一代起請文」は法然上人が弟子の源智の願いにより最晩年に記した一文です。 本堂を左に回り込むと背後が境内墓地です。墓地への入口の突き当たりに、 覆屋の設けられた「池大雅墓」があります。屋根の正面丸瓦に「大雅堂」と陰刻されています。 墓石の表面には二行書きで「故東山画隠 大雅池君墓」と記されています。この墓は大雅が没した翌年、安永6年(1777)6月に建立されたことが、側面に細かく刻まれた銘文からわかるそうです。銘文は未確認です。 門前には、この駒札が立っています。 境内の片側に歴代住職のものと推測する卵塔列が目にとまりました。 ブロック塀で仕切られた境内墓地の入口両横に、まだ真新しい石造の鎮守社らしきものと、石標があります。 境内には微笑ましい二体の寄り添う石仏や、市中からこちらに移されたのかと思う石仏たちも集まっています。 山門屋根の鬼瓦 市中の小寺らしからぬこの山門、メモしていなくて正確には記憶していませんが某宮邸の門を移築したものとか。そう言われると、花狭間が設けられた桟唐戸が普通のお寺で使われていることはありませんので、ナルホド・・・・と思った次第です。 池大雅の住居は、現在の円山公園にある円山音楽堂の近くだったということと、そこに碑が建立されているのを昔、見たことがあったのですが、墓がどこに所在するのかは知りませんでした。今回の探訪での一つの収穫です。 この辺りの地図(Mapion)はこちらからご覧ください。 つづく 参照資料 1) 「京都の歴史散策34 ~千本釈迦堂周辺を歩く~」龍谷大学REC講座 当日配付のレジュメ (元龍谷大学非常勤講師 松波隆宏氏 作成) 2) 『昭和京都名所圖會 洛中』 竹村俊則著 駸々堂 3) 「千本えんま堂 参詣のしおり」 当日拝観の折にいただいたリーフレット 4) 【賽の河原地蔵和讃】亡くなった子ども(水子)と地蔵菩薩の物語 :「禅の視点-life-」 補遺 千本ゑんま堂 引接寺 ホームページ 横川景三 :ウィキペディア 横川景三 :「コトバンク」 千本閻魔堂大念仏狂言「いろは」 :YouTube 千本ゑんま堂狂言保存会 ホームページ 千本ゑんま堂大念仏狂言 :「京都通百科事典」 池大雅 :ウィキペディア 池大雅 :「コトバンク」 池大雅美術館 :「京都じっくり観光」 池大雅《楼閣山水図屏風》憧憬の音が聞こえる──「出光佐千子」 :「artscape」 『大雅堂画法』1巻 京都大学附属図書館所蔵 3巻まで公開されています。 池大雅 天衣無縫の旅の画家 :「京都国立博物館」 特別展覧会予告 2018年4月 7日 ~ 2018年5月20日 ネットに情報を掲載された皆様に感謝! (情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。 その点、ご寛恕ください。) 探訪 京都・洛中 千本釈迦堂周辺を歩く -1 紙屋児童公園・上品蓮台寺 へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.11.26 16:19:21
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