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遊心六中記

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2018.11.18
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カテゴリ:探訪
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大阪天満宮境内の北側の石鳥居がある入口の手前に、西向きにこの朱塗りの鳥居があることは、前回触れました。この鳥居の正面に見える建物から探訪の続きを始めます。
 
こちらが南面する社殿です。朱塗り鳥居からはこの建物の側面が見えていることになります。大阪天満宮の本殿からでは、北東方向の境内域に位置します。
正面右側に立つ案内板には、「小社 白米社」と記されていて、祭神が稲荷大神です。
朱塗り鳥居に「白米稲荷社」の扁額が掲げてあったのが頷けます。
由緒には「創祀傅来等は不詳なれども文政七年刊神佛霊験記図会に記され往時より民庶の尊崇厚かりき」と記されています。
由緒を読んでも、なぜ「白米」という名称なのか不詳です。

後で知ったことですが、この建物の回廊部分の北西隅に「狐の爪研ぎ石」が置かれているそうです。「『狐の爪研ぎ石』と言いふるされている高さ約1m、幅50cmの石がある。いかにも狐が、その鋭い爪を立てて掻いたように、数条の穿溝が走っている」というものです。その石を科学的にみると、「大阪の玉造において出土した玉造石、勾玉、管玉を研いだものといわれる」とか。(資料1)
ネットで検索すると幾つものブログ記事でその写真を拝見できました。再度訪ねる機会があれば、実見したいと思っています。
 
白米社の東側に、「稲荷奧宮」の扁額が掛けられた小社が朱塗り鳥居の短いトンネルの先に見えます。
 

前回同様に、​大阪天満宮のホームページに掲載の境内図をこちらからご覧いただくと位置関係が比較的わかりやすいと思います。

 
稲荷奧宮の鳥居の右手前、塀際に比較的小振りの臥牛像が覆屋に鎮座しています。
大塩平八郎の乱の数年後である天保11年(1840)庚子霜月に奉納された「天保の石牛」だそうです。(資料1)

 
高い塀が直角に曲がった角地に、西面する小社があります。
 
「住吉神社」です。祭神は底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命の三柱です。
由緒には「御祭神の底筒之男命中筒之男命上筒之男命はそれぞれ海や川の底部中程表面の支配者ということで記紀の神話によれば伊邪那岐命が亡くなられた伊邪那美命に会うため黄泉の国に行かれたときそこで受けられた穢を筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊祓いをされた際多くの神の生まれたその中にこの三神がある」と記されています。

『日本書紀』を読むと、「筑紫の日向の川の落ち口の、橘の檍原(あわきはら)に行かれて、祓(みそ)ぎはらいをされた」とし、体の汚い所をすすごうとし、まず中の瀬ですすぎ、次に潮の中にもぐってすすぎ、また潮の上に浮いてすすいだということが記述されています。そのプロセスで九柱の神が生まれたとするのです。そして、「その底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命は住吉大神である」と記しています。(資料2)
この後で、伊弉諾尊(伊邪那岐命)が左の眼を洗うと天照大神(あまてらすおおかみ)が生まれたと記していますので、住吉大神が先に生まれているということになります。(資料2)
     
頭貫の上の蟇股部分には波濤の上を飛翔する鶴が透かし彫りにさrています。木鼻も深く彫刻されています。小社ですが豪華さがうかがえます。
        
        境内社の中では、彩色された最も豪華な扉を拝見できます。

 
住吉神社の東側にはそれぞれが石柵に囲まれ、石鳥居が立つ三社が並んでいます。(東側からの景色)
西から東に拝見していきましょう。

       
 
「吉備社」です。祭神は吉備真備。奈良時代に留学生として入唐し、帰国後右大臣に上った貴族です。唐から刺繍裁縫の業を持ち帰ったという故事があるそうです。
 
                吉備社の蟇股と狛犬
 住吉神社に近い方にある「針塚」
大正15年(1926)5月に建立されています。同年中に昭和に元号が変わります。
ここにこの碑が建立されているのは、上記の故事に関連するのでしょう。
この塚は大阪和服商工業組合と大阪刺繍業有志にて建立されています。

 
吉備社の東隣りは「八幡宮」です。祭神は八幡神(はちまんのかみ)こと誉田別命(ほんだわけのみこと)です。一般に応神天皇の名で知られています。
 
この小社の蟇股の箇所にも、鶴が彫刻されています。

 
 
八幡宮の左隣りは「松尾社」です。祭神は大山咋神です。由緒は不詳。
尚、大山咋神は、大津市坂本の日吉大社や京都市嵐山の松尾大社に奉祀されている神と同じです。(案内板より)
 
ここは雲中を飛ぶ鳥が彫刻されています。残念ながら頭部が欠損しているようです。

   
         
     
境内地の北東端に位置するのが「霊符社」です。祭神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)です。
境内地の北東域では、白米社とこの霊符社の建物規模が大きい部類です。

 
霊符社から北西方向に、この門があります。境内図と対比すると、参集殿の東側の建物への入口になるようです。
 
この門を正面に眺める形で、大阪天満宮の境内に入る東の門の場所がこの景色です。
今回の探訪では、北側の3つの出入口、南側の表大門・蛭子門と5箇所の出入口を実見しました。

それでは、最後に白米社の背後、境内地の北端をご紹介します。
白米社の西側は境界が金属製の垣根になっています。東から見ていきましょう。
 
絵が線刻されているように見える石碑。不詳です。

 
       「夜の明けて尾花大きくなりにけり 来山
西山宗因の弟子の小西来山の句だとか。その真筆で句が刻まれているそうです。

    
句碑の西側には、古石の臥牛像が「昆布商」と正面に刻された台石の上に置かれています。この台石と古石牛像との関係は不詳のようです。(資料1)
私が実見できた範囲では、この臥牛像が一番古そうです。いつ、だれが大きな鈴を付けたのでしょうか?

 
臥牛像の西隣りに、朱塗り鳥居の立つ小社が祀られています。表示がありません。
調べみて「天満弁財天・鶴姫大明神・亀吉大明神」の3神が祀られているということを知った次第です。(資料3)
 
その西隣りには「筆塚」があります。「薬種商有志中」と刻された円柱が斜め前に立っていますので、この有志方による建立なのでしょう。上掲の針塚と同様に、商いに使った筆の供養塔ということでしょうか。
 
西隣りにある句碑です。    「船渡御へ見せて浪速の土性骨  山河
これは大阪で俳誌「大樹」を主宰した北山河(1893~1958)の詠んだ句だそうです。(資料4)
下句の「土性骨」は大阪人の心意気を高らかにうたいあげたというところでしょうか。

 
これは『摂津名所図会』の挿絵となっている「天満天神神輿渡御」の図です。(資料5)
ひしめくように川舟が集い、神輿渡御を眺め祝う図なのでしょう。空には花火が打ち上げられています。現代の神輿渡御の風物詩、状景は、第1回で補遺として、いくつか公開されているYouTubeを列挙しています。

この賑やかな天満天神神輿渡御が、1973年のオイルショックによって中止になったという状況があるようです。「潮騒」と題された大阪日日新聞のコラム記事にその時のエピソードが記されています。冒頭部分を引用します。それがこの句碑と結びつくのです。
”1973年のオイルショックによって天神祭の船渡御が中止になった時、大阪商工会議所会頭だった故・佐伯勇さんは大阪天満宮を訪れて声を張り上げた。「大阪人として天神祭ができないとは何やねん!」と◆さらに境内の句碑〈船渡御へ 見せて浪速の 土性骨(どしょっぽね)〉に目を向けて「これやで、宮司さん。わしが思っているのは」と訴え、この句をタオルに織り込んで経済界に配り、船渡御の復活を支えたそうだ。宮司の寺井種伯さんの回想である。”(資料4)

大阪人でない私は知らなかったエピソードです。大阪の当時を知る人々の多くはたぶんご存知のことなのでしょう。

 
境内地北端の西角近くに立つ碑がこれです。
碑文の書体文字を直読できる力は私にはありません。傍の駒札は墨がにじみ判読しづらくなっています。画像処理で何とか読み解いてみました。
 楽すればらくがわざして楽ならず らくをせぬ身ははるか楽々
と判読できそうです。慶応2年8月に建碑されています。
                             (その後で判読を裏付けられる記事を見つけました。補遺に掲載)
駒札の本文に続く二行は残念ながら判読できません。どなたかこの石碑に詳しい方、この二行につぃて教えていただければ幸いです。

一方で、入手できた事項もあります。
楽すれば楽が邪魔して楽ならず、楽せぬ楽がはるか楽楽」という文を見つけました。
「七楽の教え」だそうで、富山の薬売りに伝わる言葉だそうです。(資料6)
石碑の文とは少し表現が異なりますが、同じ主旨でしょう。

見落とした石碑などがまだまだあるでしょうが、この辺りで帰る予定時刻になりました。
大阪天満宮を後にして、夕暮れ迫る夜景を見つつ駅まで戻ることに。

つづく

参照資料
1) ​てんま天神梅まつり散策と梅香席鑑賞​ pdfファイル :「塾塾」
2) 『全現代語訳 日本書紀 上』 宇治谷孟訳  講談社学術文庫 p28-29
3) ​大阪天満宮・3​  :「神仏霊場を行く」
4) ​潮騒​  コラム :「大阪日日新聞」
5) ​大日本名所図会.第1輯第5編摂津名所図会​ :「国立国会図書館デジタルコレクション」
   233~235コマ/380コマ 
6) ​[今月の言葉] 楽をしていては楽にはなりません ​ :「月刊朝礼」

補遺
天御中主神​  :「コトバンク」
天御中主神​  :ウィキペディア
大山咋神​   :「コトバンク」
Q.大山咋神(オオヤマクイ)とは?|松尾様​  :「神道 神社」
Q.応神天皇(おうじんてんのう)とは?​     :「神道 神社」
応神天皇​  :ウィキペディア
応神天皇​  :「コトバンク」
吉備真備​  :「コトバンク」
奈良の魔法使い ~日本を救った遣唐使・吉備真備(きびのまきび)~​  
                                                             歴史秘話ヒストリア:「NHK」
吉備真備​  :ウィキペディア
北山河​  :ウィキペディア
北山河​  :「コトバンク」
天神祭 繚乱“水都の夏”土性骨で復活​ :「信州の佐久高原より”縁結び便”」
らくすれば​  :「大阪ことば あいうえお」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

探訪 大阪天満宮細見 -1 表大門・神水舎・本殿と諸建物・大将軍社 へ
探訪 大阪天満宮細見 -2 蛭子門、様々な境内社と石碑、蛭子遷殿、天満宮第二文庫 へ
​​​​​​​​​​​​​​​​​探訪 大阪天満宮細見 -4 大川沿いに天神橋から天満橋へ





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Last updated  2018.11.19 14:00:47
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