|
カテゴリ:探訪
六地蔵堂の北隣りに「観音堂」があります。宝形造りのお堂で、正面に向拝が付いています。 正面の格子戸越しに堂内を拝見すると、正面に厨子があり残念ながら閉まっていました。 観音堂の屋根の鬼瓦。四方の隅棟が頂上で屋根の中心に集まり、頂点に雨仕舞として露盤と宝珠がのっています。 六地蔵堂と観音堂の間にある石仏像 両手で宝珠を持つ姿ですが、六地蔵堂の地蔵菩薩像と同じ形式の被り物をした姿ですので、この像も地蔵菩薩像だと理解しました。 二つのお堂の背後に進むと、六地蔵堂の背後(東側)寄りに、南側に無縁仏となった墓石を集合させた一画があり、境内墓地に向かう階段をはさみ、北側に数多くの石仏が集められた一画があります。 石仏群のなかで、一際大きい石仏は阿弥陀仏像です。 左の像と下部の蓮華座及び台座が一体のものか、寄せ集められた結果なのかは不詳ですが、石仏はお地蔵さまのようです。右側は錫杖が彫られていますので、お地蔵さまです。 頭部を見ると螺髪様ですので、阿弥陀石仏をお地蔵さまに転用しさのでしょうか。 背後には小型の一石五輪塔が集まっていて、手前には五輪塔を線刻した碑があります。右には錫杖を持つお地蔵様の舟形光背の右には人名らしきものが彫られいますので、これは墓石でしょうか、中央の石仏は何仏なのか判然としません。頭部の形からお地蔵さまではないようです。 東南側からの景色です。石段側には無縁仏となった墓石も集められています。 南側の無縁仏となった墓石群の中央後ろには「三界萬霊塔」と刻された碑が置かれ、その前にがっしりとした五頭身像という感じの地蔵菩薩立像が安置されています。 「三界」は、仏教的な世界観で、「欲界」「色界」「無色界」に分かれ、欲界は六天に、色界は四種二十二天その他に細分されると言います。「人間初めすべての生き物が過去・現在・未来にわたって次つぎに生まれ変わる境遇」、「広義では世界じゅうや、生きている限りのこの世をさす」と説明されています。(『新明解国語辞典』三省堂) 他にもお地蔵さまがいらっしゃり、お地蔵さまを彫った墓石も見受けました。 螺髪の頭部が見える石仏も。 境内墓地は傾斜地にあり、上って行くと一番小高いところに、この供養塔が建立されています。2013年5月に訪れた時に一度拝見しています。 手前の石標には「永代供養墓 六地蔵尊 大善寺供養塔」と刻されています。 蓮華座の上に五輪塔様の石塔が象られています。この供養塔の背後の樹木の先をJR奈良線が通っています。 塔身の正面には「倶會一處(=倶会一処)」と刻されています。 調べてみますと、浄土宗の拠り所とする『阿弥陀経』に説かれている言葉です。念仏による浄土往生を説く箇所に出て来ます。 「舎利弗よ、衆生にして(極楽国土および阿弥陀仏と聖衆のことを)聞く者あらば、まさに願を発してかの国に生まれんと願うべし。所以はいかに。かくのごときのもろもろの上善人とともに、一処に会うことをうればなり。舎利弗よ、少なる善根・福徳の因縁をもって、かの国に生まるることをうべからず」「得與如是諸上善人倶會一處」という部分です。(資料1) 「『たとえこの世で大切な方との別れを迎えようとも、南無阿弥陀仏とお念仏をおとなえする者どうしは、阿弥陀さまのお迎えをいただき、必ず倶(ともに)に一つの処(ところ)、すなわち西方極楽浄土でまたお会いすることができるのです』という教えです。」(資料2) 塔身は六角形で、他の五面には「南無○○如来」と彫られています。 南無は「南無三宝」「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」の冒頭の南無と同じです。つまり、サンスクリット語のナマス(namas)の音写で「[帰命・帰敬・帰礼・信従などと訳] 仏・三宝に帰順して信を捧げるをいう」(資料3)という意味です。 ここに刻されている如来名は「寶勝如来・甘露王如来・廣博身如来・離怖畏如来・妙色身如来」という五如来です。言葉から大凡イメージが湧くと思います。補遺をご参照ください。 この供養塔の背後に、六地蔵尊が並んでおられます。前回ご紹介した、「この地獄だけでなく、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上など六道の迷いの世界を巡りながら縁のある人々を救っている。」という意味での六地蔵尊をさすのでしょう。地蔵菩薩の六分身ということになるのかもしれません。尚、六角形の台座には地蔵尊名については何も記されてはいません。 右から二体ずつ見仏していきましょう。 六道のそれぞれに赴く地蔵菩薩はその持物が異なっています。 それぞれの地蔵菩薩には名前が付けられていますが、幾つか説があり、持物との組み合わせも相違がみられるようです。煩雑になるので触れません。補遺をご参照ください。 ここの六地蔵尊はお顔は同じで持物が違うだけですので、まさに分身というイメージですね。 持物と印相を右から眺めていきますと、宝珠・錫杖、宝珠・施無畏印、経、蓮華合掌印、数珠、香炉のようです。(私の解釈ですので、間違っているかも知れません) 墓域の端に、歴代住職の墓でしょう、無縫塔(卵塔)が並んでいる一画があります。 境内墓地から六地蔵堂前に戻ります。 お堂の南方向に正門があり、この門から入ると、右側(東)に、 手水所があります。覆屋の代わりに手水所の上部を樹木の枝が広がっています。 藤棚でしょうか。未確認です。 この手水鉢のある場所の東側に「鐘楼」があります。鐘楼から北方向に本堂が位置します。 鐘楼の一遇にこの銘板が取り付けてあります。 この鐘楼は、後水尾天皇の中宮であり、徳川2代将軍秀忠の娘東福門院が、後に明正天皇となる皇子の安産祈願の成就御礼として寄進されたものと言います。寬文5年(1665)伏見奉行水野石見守に命じて建立させたものです。(銘板、資料4)銘板には普請奉行としてその名前が記されています。 大工頭は江州栗田郡高野荘辻の国松平兵衛と記されています。栗田郡はたぶん栗太郡(/栗本郡)のことでしょう。栗本之郡には高野之郷(高野郷)があったことの文書記録があるようです。(資料5) 梵鐘は鋳工藤原朝臣宗次の作。直径3尺(0.9m)高さ4尺3寸(約1.3m)、重量250貫(約1t)と記されています。 撞座のある中帯と装飾文のある下帯との間の草ノ間が細い帯程度に狭くなり、中帯の上の池ノ間には、漢文体で文が刻まれています。たぶん鐘楼建立の趣旨でも記されているのでしょう。 注目すべきは鐘楼の天井が格子天井でその升目に菊と三葉葵の紋章が交互に配され装飾文様が極彩色で描かれていた様子が窺えるところです。建立当初は華やかな天井が眺められたことでしょう。 鐘楼の屋根は入母屋造りで、獅子口の中央と足元(鰭)には菊の花の姿が装飾に使われています。 降り棟の先端の鬼板にも菊の花のレリーフが見えます。 木鼻はシンプルですが、頭貫と横木の2本に蟇股があり、上下の蟇股の意匠が異なるのもおもしろいところです。 それでは、正門から出ることにしましょう。 道標に記された伏見道に面する表門を境内から眺めた景色です。 内側から眺めると、城郭門である「高麗門」の形式であることが分かります。 門を出て、振り返って眺めた景色です。「鎮護道場」と刻された碑が立っています。 前回、「1561年(永禄4年)3月4日、頓誉琳晃上人が正親町天皇の勅を奉じてこの寺を浄土宗として再興され」と記したことと、六地蔵堂傍の石標に刻された「勅願所」とともに頷ける気がします。また、左側には武者窓の設けられた建物が門の手前にあります。 門の屋根を見上げると、菊の飾り瓦が置かれ、軒丸瓦の正面には大善寺の「善」という文字が陽刻されています。 伏見道から門までのアプローチはかなりあります。なかなか良い雰囲気です。 伏見道に面して右側には地蔵尊の小祠が祀ってあります。 観音開きの格子戸越しに眺めると、石仏のお地蔵さまの顔は化粧がしてありました。 地蔵盆の折りに綺麗にお顔が化粧されたのでしょう。 京都市内に住んでいた子供の頃の地蔵盆のことをふと思い出しました。 道路に面して、左側には「根本 六地蔵尊 大善寺」と刻された碑があり、碑の色から時の経過、風雪を感じます。 この表記に、六地蔵巡りの原点という意味合いを受け止めました。 京都で始まった六地蔵巡りは、祇園祭の形が各地に伝播したことと同様に、各地に伝播し、各地域内に存在する六地蔵巡りという信仰が広まったようです。たとえば、江戸六地蔵、阿波六地蔵霊場、伊予六地蔵霊場などがたぶんその一例でしょう。(資料6,7,8) また、近くで言えば滋賀県大津市にも、「坂本の六地蔵めぐり」というのがあります。こちらの一部は、かつて歴史探訪の企画に参加したときに行程途中で訪れたことがあります。(資料9) これでご紹介を終わります。ご覧いただきありがとうございます。 参照資料 1) 『浄土三部経 下(観無量寿経・阿弥陀経』 中村元・早島鏡正・紀野一義 訳注 岩波文庫 p93 2) 倶会一処 今日の言葉 :「浄土宗」 3) 『新・佛教辞典 増補』 中村元監修 誠信書房 4) 『新版 京・伏見 歴史の旅』 山本眞嗣著 山川出版社 p90-92 5) 近江国 :「ムラの戸籍簿データベース」 6) 江戸六地蔵 :ウィキペディア 7) 阿波六地蔵霊場 :ウィキペディア 8) 伊予六地蔵霊場 :ウィキペディア 9) 滋賀県・大津市坂本の六地蔵巡り :「お祓い堂」 補遺 五如来 :「web版 新纂浄土宗大辞典」 五如来 :「極楽浄土~浄土宗~仏教用語集」 六地蔵 :「web版 新纂浄土宗大辞典」 六地蔵 :「コトバンク」 後水尾天皇 :ウィキペディア 後水尾天皇 :「コトバンク」 東福門院 :ウィキペディア 東福門院 :「コトバンク」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝! (情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。 その点、ご寛恕ください。) スポット探訪 京都・伏見 大善寺-六地蔵めぐりの原点 -1 道標、本堂、六地蔵堂 へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|