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カテゴリ:探訪
![]() ![]() 今年も正倉院展を見に出かけました。その記事は先般ご紹介しています。 奈良国立博物館を出た時は、4時半頃でした。興福寺境内に入ると、夕日が北円堂の南側に沈み始めています。すぐ傍の五重塔と遠望する南円堂あたりは影絵です。 ![]() ![]() ![]() 中金堂は夕日をうけて、拝観者もまばらになりつつありました。 ![]() 振り返れば、東金堂と木々の向こうに五重塔の上部が望めるだけに。 ![]() 奈良博に行く時は、大勢の観光客や参拝者で溢れていた南円堂もひっそりとし始めています。 ![]() ![]() 石段を下り、西を見れば三重塔も影絵です。相輪の法輪・水煙・竜車・宝珠がズームで見ると見やすくなっています。 ![]() 見上げると南円堂の南側面は、はや扉が閉じられて、夕日の残光に輝くひとときです。 ![]() ![]() 石段を下り、三条通を横断し、猿沢池の南辺を歩みます。 池面に映じた五重塔が見えるところがいいですね。 奈良博に行く時はこちらまで足をのばすことはあまりありません。 この猿沢池は奈良時代に興福寺の「放生会」のための放生池として作られた人工池。周囲は約400m(一説に360m)で、深さは約1m~1.5mだそうです。(資料1,2) この日は久しぶりに橋の上から、眺めたいものがあったのです。 ![]() 池の南の畔を道沿いに西に歩めば、この景色が見えます。目的地はこの橋のところ。 橋を渡って、そのまま西に進めば、「ならまち」です。 この橋は「島嘉橋」と称し、伊勢街道上ツ道の起点にあたると言います。(資料3) ![]() 上掲の景色の右端に少し見える案内板から付近の地図を切り出しました。それに方位を追記しましたが、頭の中で方位を回転させてイメージしてみてください。 猿沢池の西側に流れる川が「率川(いさがわ)」です。 ![]() 橋上から見下ろした景色。舟が川に浮かぶかのように作られています。後部の石柱に「率川」と刻されています。 ![]() 台風のような大雨で増水すれば、川水に呑み込まれてしまうかもしれません。 この船形のところの石仏群を久しぶりに見たかったのです。 ここを通ったときにこの石仏群の舟を見つけたのは十数年前だったかもしれません。その時はえ!なぜ、この場所に・・・・・・という印象を抱いたのを覚えています。 この石仏群は「率川地蔵尊」と呼ばれていうようです。かつては「尾花谷川地蔵尊」とも呼ばれていたと言います。(資料3) ![]() まるで石舟ですね。乗船客はお地蔵さまほか・・・・・。 「おそらく廃仏毀釈の時に捨てられたお地蔵様が、工事で川の中から見つかり、一緒に並べられたのでしょう」とは、地元の自治会さんのご説明。(資料3) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 錫杖を持つお地蔵さま、持たないお地蔵様などさまざま。 ![]() 五輪塔をレリーフにした板碑もあります。 石船の傍まで降りてみたかったのですが、周辺には降りる階段などはありませんでした。少し残念。ハンディなデジカメのズーム機能で撮った写真です。 ![]() ![]() 道路を外れ、猿沢池沿いの小径を三条通に戻る途中で見かけた「猿沢池こんなお話し」の陶板です。 ぜひ猿沢池周辺をお楽しみください。 ご覧いただきありがとうございます。 参照資料 1) 南都八景のひとつ!奈良「猿沢池」から興福寺・五重塔を眺める:「LINEトラベル.jp」 2) 猿沢池 :「なら旅ネット<奈良県観光公式サイト>」 3)率川地蔵尊(奈良市) :「ならリビング.com」 補遺 法相宗 興福寺 ホームページ 猿沢池 :ウィキペディア 放生会 :「コトバンク」 奈良歴史漫歩 No.053 猿沢池の釆女と龍神伝説 橋川紀夫氏 ネットに情報を掲載された皆様に感謝! (情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。 その点、ご寛恕ください。) こちらもご覧いただけるとうれしいです。 観照 奈良国立博物館 御即位記念 第71回正倉院展 探訪 奈良・興福寺 境内のお地蔵さまほかと境内点描 観照&探訪 奈良散策 -2 興福寺中金堂と諸堂の眺め スポット探訪 [再録] 奈良 興福寺境内を通り奈良国立博物館に スポット探訪 [再録] 奈良 興福寺国宝特別公開2013 南円堂・北円堂 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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