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カテゴリ:探訪
この景色はJR奈良線「稻荷」駅から本町通を南に徒歩数分に位置する踏切を渡り、西から「摂取院」の全景を撮った景色です。摂取院は本町通の東側にあり通りに面しています。拙ブログ記事「伏見稲荷大社細見」記で周辺の見所の一つとして簡単にご紹介しています。 宝形造りのお堂の正面に角柱の香炉が立ち、その正面に「腹帯地蔵尊」と刻されています。 須弥壇前の祭壇には蓮池の上を鳳凰が飛翔する化粧幕が張られています。よく見ると五具足の中央手前には小さなお地蔵さまの立像も置かれています。 そして壇の中央には半丈六の地蔵菩薩坐像が安置されています。像高約2.5mで平安時代末期の作だそうです。「腹帯地蔵尊」としてよく知られたお地蔵さまです。 山号を光明山と称する浄土宗のお寺で、院号と寺号が同じです。 (資料1,2) このお堂は私の知る限り昼間はいつも正面の格子扉が開放されていて、腹帯地蔵さんの全体のお姿を拝見できて、ありがたいお堂です。 地蔵菩薩の両側の脇壇には、童子像が安置されています。 少し調べてみますと、「閻魔王ら十王を従えた地蔵菩薩坐像、矜羯羅(こんがら)童子と制吒迦(せいたか)童子を左右に従えた三尊形式の地蔵菩薩坐像などもある」(資料3)及び「室町時代以後、日本では地蔵菩薩の向かって右脇に掌善童子、左脇に掌悪童子を従えた地蔵三尊形式で祀られるところもある」(資料4)という説明に出会いました。 さらに入手した仏像画像の姿を参考にして判断しますと、掌善童子・掌悪童子の方かなと思われますが定かではありません。(資料5) お堂の正面左側に南面してお地蔵さまの小祠があります。ここのお地蔵さまはかわいらしい化粧が施されています。僧衣も含め全体が丁寧に彩色されていました。 さて、それでは2つの気になることに移りましょう。 JR稻荷駅から上掲の踏切を渡り、右折して琵琶湖疏水に向かいます。 数十m先に、琵琶湖疏水に架かる橋があり、その橋名が「ススハキ橋」です。 また、この南北に流れる疏水の東岸沿いの町並から西の南北の通りである「師団街道」までが「深草ススハキ町」という名が付いた地域です。師団街道の西側に龍谷大学のキャンパスがあります。 龍大にREC講座を受講に行く際、このススハキ橋を渡り、川端沿いに南に歩き、京阪電車「龍谷大前深草」駅の通路を経由してキャンパスに行くルートを利用しています。この橋名、町名にあるカタカナの「ススハキ」という語句がずっと気になっていました。この地名はどこに由来するのだろうと。 ネット検索で調べてもみたのですが、よくわかりませんでした。探訪記をまとめる際によく参照する平凡社刊の『京都市の地名 日本歴史地名大系27』を見ても、記載はありません。 さらに地図を見ますと、京阪電車の駅の大半は塚草ススハキ町の南隣りの「深草ケナサ町」に位置します。この町も「ケナサ」というカタカナ名称です。 龍大の図書館の書架で探していて、その由来を記した本を発見! ”「ススハキ町」の「ススハキ」は「ススグ」の意で、祓川筋に身祓行事に因む町名がついたし、「ケナサ町」の「ケナサ」は足利時代砂川を「ケナサ川」といったところからその古名をつけ”と、いわれの説明がありました。(資料6) ネットで地図を見ますと、深草ススハキ町の北隣りは深草鳥居前町で、その北隣りに「深草秡川町」という町名があります。一方、深草ケナサ町には、「龍谷大前深草」駅の西側に「砂川小学校」があります。「砂川」です。この本の説明がなるほどいう感じ。初めて見出した由来説明です。勿論、これもまた一説ということかもしれませんが・・・・。 ススハキ橋を渡り、琵琶湖疏水の右岸、つまり西岸の川端通りを「龍谷大前深草」駅に向かうときに右側にこの年季が入った感じの小屋の屋根があります。すぐその先に見えるのが京阪電車「龍谷大前深草」駅です。駅舎は高架となっていて、線路の上方に改札口と横断通路があります。 この小屋のところが何なのか、気にはなりながらいつも素通りしていたのです。 駅舎のある南側から眺めると、こんな景色です。 半ば以上幹が空洞化した大木が傍にあります。「区民の木 アカメヤナギ」と記した木札が立っています。幹の空洞化が進んでいても木はその生命力を維持しています。 先日、時間のゆとりがあったので、小屋の西側、川端通りより一段低い地面に回ってみました。 なんとこの屋根は覆屋の屋根でした。数多くのお地蔵さまが集められて祀られている場所だったのです。すぐ傍の川は開削されてできた運河です。その東側の本町通/直違橋通は、旧伏見街道です。運河の開削で出土した石仏や旧街道周辺からこちらに移された石仏などがここに集められたのかもしれません。地蔵石仏がここに集まってこられた理由は不詳ですが、西向きに地蔵石仏が並べられています。 中央後部の左に安置された一体には、はっきりと錫杖の頭部が見える地蔵菩薩立像です。順番に眺めて行くと、ここにも如来形の頭部と思える石仏がいくつか混じって安置されています。二尊形式の石仏も一体あります。 一石五輪塔にも前掛け(涎掛け)が付けられています。 向かって右側のお地蔵さまの光背部分には右に「南無延命地蔵菩薩」、左に「開眼供養」と刻まれています。すごく大きな耳たぶが特徴的です。 左側のお地蔵さまは光背部分に文様が彫刻されていて、左手に子供を抱いていらっしゃる感じです。前掛けの上に頭部らしきものが見えます。子安地蔵尊あるいは水子地蔵尊として建立された石仏でしょうか。 最初に横長の大きな覆屋が設けられ、その時点で集まって来られたお地蔵さまが安置されました。だけど、さらにお地蔵さまがこの地に集まって来られた。そこで、覆屋を順に補って行く事に・・・・という風にして今の形になったのかなあと、想像しました。 大きな覆屋と中の覆屋との境目部分に石柱が立っています。角柱の背後の石の上に立方体の石が置かれています。このサイコロ状の石には梵字が刻されているようです。前の角柱も上部が欠損状態ですが「見大菩薩」という文字から推測すると、「妙見大菩薩」という名称が連想されます。 普段この川端の通りを利用するする人々は、この屋根を眺めながら歩いていることと思います。この屋根が何のためのものか意識されているでしょうか? 屋根があること自体、気にしていない人もいるかもしれません。 私自身、数えきれないほどこの疏水端を歩いてきました。だけど気に留めながらも素通りしてきました。 今回は長らく気になっていた2つの事に一歩踏み込んでみた結果のご紹介です。 これでちょと私的にはスッキリしました。 ご覧いただきありがとうございます。 参照資料 1) 摂取院 :「浄土宗寺院紹介Navi」(浄土宗) 2) 摂取院 :「京都通百科事典」 3) 『写真・図解 日本の仏像』 薬師寺君子著 西東社 p85 4) 掌善掌悪童子 地蔵菩薩脇侍 立像 :「粟田こだわり仏像専門店」 5) 掌善童子・掌悪童子 :「仏像画像集」 6) 『深草を語る』 深草を語る会 財団法人深草記念会 平成25年1月 p129 補遺 矜羯羅童子 :ウィキペディア 制多迦童子 :ウィキペディア 写真: “脇仏 掌善童子” 五條市 :「トリップアドバイザー」 童子立像 :「MIHO MUSEUM」 地蔵菩薩二童子像 :「鶴立山大覚寺」 腹帯地蔵 :「コトバンク」 京都で必見!安産祈願に霊験あらたかな善願寺の巨大な仏像「腹帯地蔵」 :「サライ」 京都の安産祈願寺はココ!伏見区日野「恵福寺」の巨大腹帯地蔵 :「LINEトラベル」 伏見区あれこれ : ふしみ昔紀行(平成19年3月) 恵福寺 :「伏見区」 広見寺・腹帯地蔵(染殿地蔵)(京都市西京区) :「京都風光」 京都:光念寺~常盤御前の腹帯地蔵~ :「yoritomo-japan.com」 十輪寺 :「京都観光Navi」 水子地蔵とは?合掌と子供を抱いている地蔵には違いがある! :「宮城お墓相談室」 洛陽四十八所地蔵霊場巡禮利生記 :「仏教大学 Digital Collections 」 アカメヤナギ(赤芽柳) :「樹木検索図鑑」 ネットに情報を掲載された皆様に感謝! (情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。 その点、ご寛恕ください。) こちらもご覧いただけるとうれしいです。 探訪 伏見稲荷大社細見 -1 表参道から楼門・外拝殿へ 10回のシリーズでご紹介しています。 探訪 京都・伏見稲荷大社 もう一つの裏道 -1 奧社奉拝所・竹の下通経由で瀧巡り 3回のシリーズでご紹介しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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