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遊心六中記

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茲愉有人

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2022.08.10
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カテゴリ:観照 & 探訪
 
菊水鉾から室町通を北に上ります。錦小路通との四つ辻に立ち、室町通の北には「山伏山」、錦小路通の西には「霰天神山」、東には「占出山」です。
まずは、錦小路通を東に入ると「占出山町」。冒頭の「占出山」を訪れます。
        
 展示全景
占出山では、町会所で懸装品等一式が既に公開展示されていました。
細長い通路を奥に歩み、町会所の展示を拝見します。

「占出山」は、神功皇后が肥前国松浦で鮎を釣って戦勝の兆としたという説話を題材にした山です。
この説話は、『日本書紀』巻九、神功皇后の9年夏4月3日の条に出て来ます。釣針を垂れ神意をうかがう占いをして、竿をあげると鮎がかかったという場面です。(資料1)
別名「鮎釣山」とも称されます。この山の御神体(人形)は神功皇后です。

それでは右端から順次、拝見していきましょう。
3266
右端には、衣桁に着物が飾ってあり、その左に金幣が置かれています。
壁面の上部にはが真っ直ぐに伸ばして展示してあります。
 
幕の下には水引の「刺繍 三十六歌仙図」(天保2年/1831年)。
これを復元新調したものが巡行当日に使われています。
オリジナルの旧蔵品を鑑賞できるのは、宵山までの会所での展示だけとなります。以下も同様です
歌仙図の下は、胴懸で綴織「松島図」(天保2年/1831年)。
 
前懸で綴織「宮島図」(天保2年/1831年)
 
胴懸で綴織「天橋立図」(天保2年/1831年)
胴懸・前懸の間に、山の四隅に飾られる房飾りと扇形の房掛け錺金具が展示してあります。

 
胴懸・前懸の前の床には、房飾りや各種の部材・錺金具等が並べて展示されています。
 錺金具
右斜め上には、鮎を丸彫りして彩色した飾りがあります。竿にかかった鮎ですね。
 
 
    
    
         
          
胴懸のすぐ下には、山に使われる赤い傘が覆袋を被せて置かれています。その前に、見送を掛けるために使われる3本の丸柱があり、錺金具で装飾されています。
その手前には山の前後に使われる欄縁があり、要所要所に錺金具で装飾されています。
 
  
 
    
      
        
通路側の近くに山の側面に使われる長い方の欄縁2本が置かれています。
 見送


 見送
綴織「双龍宝尽額 牡丹に鳳凰文様」(寛政6年/1794)


見送の前の床に展示されているのが何に使われるものなのかは不詳。
 
綴織「霞に新羅古鏡図」(明治23年/1890年)
上辺に引っかける穴が沢山設けてあります。どこに使われたものでしょう。やはり見送か・・・。


 
通路の奥にある座敷に、巡行に使用される懸装品が展示されています。
こちらはこの1枚だけ。ガラス戸の光りの反射等でうまく撮れず、あきらめました。

壁面には日本三景図の復元新調品、座敷の両側には水引の三十六歌仙図の復元新調品が展示されています。座敷の中央に見送が置かれ、花鳥龍文様の綴錦。上掲「双龍宝尽額 牡丹に鳳凰文様」の復元新調品です。

 
通路奥に山の懸装品等の収蔵庫があります。
                
                             収蔵庫傍に小社(不詳)
 側面にこの​篇額​を置いてある小社も

 
            
            
懸装品や欄縁等を展示した座敷とは、通路を挟んで反対側の建屋に、御神体(人形)の神功皇后が祀ってあります。顔の部分が少し垣間見えるくらいですが。
 
「占出山」の櫓(躯体)の構造全体を側面から眺めてみました。
こんなところで、町会所の展示を拝見して、次に霰天神山に移動します。

錦小路通を今度は西に進みます。室町通を横断すると、その先は「天神山町」。占出山町も、この天神山町も、通りの両側が同じ町内になります。
 
この提灯「霰天神山」に立っています。
  
ここも山建ての最終段階に入っていました。
 
櫓の斜めに渡した部材を藁縄で縛っています。ここの縛り方も仕上がりは異なります。
 
櫓の柱と桁と斜めの部材の藁縄縛りの仕上げがまだ見やすい段階でした。
 こちらは下部

「永正年間(1504~1520)京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまちに消えたが、そのとき一寸二分(約3.6センチ)の天神像が降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の起こりであるという。」(参照資料より一部転記)
「霰天神山」は、「錦天神山」「火除天神山」とも呼ばれるそうです。
この山ニは、朱塗りの鳥居が立てられ、唐破風春日造の神殿が安置されます。

室町通に戻り北に上ると、占出山町と天神山町の北隣りが「山伏山町」です。
 
「山伏山」も同様に、山建ての最終段階でした。
 
藁縄とともに、ロープが併用されています。
 
藁縄の縛り方の仕上げを霰天神山と対比してご覧ください。楽しめると思います。
 北側から

 
       

      町会所の内部も同様に、懸装品や欄縁等の展示準備の最終段階でした。

​この山は、御神体(人形)の浄蔵貴所が大峯入りをするときの山伏姿を表現​しています。そこから「山伏山」と呼ばれるようになったそうです。
浄蔵貴所は、昔八坂の法観寺の塔が傾いたとき法力によってそれをなおしたと伝えられています。

この後、烏丸通に出て、南を眺めても「孟宗山」が見えませんでした。
後で調べてみますと、私が山鉾巡りをした翌14日の朝から山建てが予定されていたのです。見えないはずでした。
前祭の山鉾のたつ位置で、少し飛地にある「保昌山」(東洞院通高辻下ル)も巡ることができませんでした。
結果的に、四条傘鉾、保昌山、孟宗山を見ないで今年の前祭、山鉾巡りは終わりました。



ご覧いただきありがとうございます。

参照資料
*​山鉾について​ :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)
1)『日本書紀 全現代語訳 上』 宇治谷孟訳 講談社学術文庫 p188

補遺
浄蔵貴所​  :「京都通百科事典」
浄蔵​    :「コトバンク」
特集 知られざる京都の文化財 3「祇園祭保昌山前懸胴懸下絵」​ :「京都市文化観光資源保護財団」
2022年 京都・祇園祭 山鉾巡行 「綾傘鉾」「占出山」​ YouTube
2022年 京都・祇園祭 山鉾巡行「蟷螂山・山伏山・芦刈山・伯牙山・太子山」​  YouTube

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Last updated  2022.08.10 18:14:20
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