3768694 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

遊心六中記

遊心六中記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

茲愉有人

茲愉有人

Calendar

Category

Comments

Archives

Favorite Blog

まだ登録されていません
2024.08.09
XML
カテゴリ:探訪
 興聖寺
宇治発電所の工事竣工記念碑の所から少し先に、興聖寺の総門(石門)が見えます。
この総門から山門までの緩やかな坂道は「琴坂」と呼ばれています。
    
   総門の南西側に「曹洞宗高祖道元禅師初開之道場」の碑が建てられています。

道元禅師が嘉禎2年(1236)に伏見の深草に創建した最初の禅苑、興聖宝林禅寺を前身とします。慶安元年(1648)に淀藩の藩主永井尚政が、曹洞宗の高僧万安英種を迎えて興聖寺をこの地に中興しました。永井家の菩提寺と定め、全面的な援助も行ったそうです。(資料1)

 
                                   観光案内図
この地図は興聖寺の傍に設置されています。「宇治発電所特別公開」のご紹介で使用した地図です。
興聖寺はこの総門を眺めるだけにして、この付近から宇治川右岸(東岸)沿いの景観を少し探訪しながら、京阪電車宇治駅まで引き返すことにしました。

 興聖寺総門の南側にある「東禅院」
                     
曹洞宗のお寺です。坂道を上っていくと、石垣の上に白壁が真っ直ぐに延びています。
南の端近くに山門があります。

東禅院の南隣りは旅館亀石楼この辺りからの宇治川の景色
 上流側
        
 下流側
を撮ってみました。

さて、ここから宇治川右岸の道路沿いの各所にちょっと立ち寄りつつ、京阪電車の宇治駅まで戻ります。今回はその景観の点描です。

   
      観光PRの幟             観流橋
「紫式部ゆかりのまち -うじには物語がある」 上辺には「大河ドラマ 光る君へ」
と記されています。
 観流橋からの眺め
宇治川の中州の1つ、塔の島に建立されている巨大な石塔「浮島十三重塔」が見えます。
奈良の西大寺律宗の高僧叡尊が建立した層塔(国重文)です。(資料1)

 
        観流橋北詰から眺めた「朝霧橋」
宇治川右岸の道路は、地図を見ますと、観流橋から宇治橋東詰の交差点までは府道247号と記されています。「朝霧通り」と称されています。

 
 
宇治川の2つの中州、朝霧橋が架かっている橘島十三重石塔のたつ塔の島を繋ぐ小橋です。

 
右岸の道路に面した宇治発電所の門の北側に、「山田緑地」と刻された碑がたち、その左に石段があって、斜面の少し上に、休憩所があります。宇治川を眺めつつ一休みするには良いところです。
 
休憩所の下、道路沿いに「田中順二先生の歌碑」の石標と共に歌碑が建立されています。 
    何釣ると  言へばもろこといふ子らに
               宇治塔ノ島  日ハまだ暮れず      順二

 
       
「宇治茶の郷」の碑があり、樹木に囲まれて茅葺き屋根の建物が見えます。

 
この碑のすぐ北隣に「恵心院」の寺号碑が立つ坂道が見えます。
坂道の南側は福寿園のお店。その南に朝日焼松露会館があります。

久しぶりに、恵心院に立ち寄りました。真言宗智山派のお寺です。
 
             
坂道の突き当たりは弘法大師の石像が祀ってあります。
 山門 
 本堂 

寺号碑の近くに恵心院の案内板が設置されていますが、読みづらくなっています。
案内の要点を箇条書きにまとめますと、
*恵心院の本尊は木造十一面観音立像。平安時代の作。宇治市指定文化財。
*寺伝によれば、弘仁13年(822)空海の創建。初めは龍泉寺と呼ばれた。
平安時代中期、寛弘年間(1004~1011)に恵心僧都源信が再興
 この時から恵心院と称されることになった。(付記:恵心僧都源信は『往生要集』の著者)
*豊臣秀吉、徳川家康の庇護を受け、諸伽藍の整備が行われたと伝える。
 現在は、表門と本堂のみを残す。

 
 
                   本堂前、参道の左側にある

 


         
 
本堂の右側前方に安置された「子育・水子 地蔵」
傍に駒札が建ててあります。
「水子とはこの世に生まれるべき子供が親の都合や不幸な出来ごとのため世の光明に出逢うことなく更には誕生の喜びをしらずに永遠の闇に流れて行くはかない生命を水子という。闇から闇へ葬られたさまよえる幼い霊魂又いろいろな心の悩を持った衆生を済度してくださるのが御本尊の地蔵尊です。
 地蔵真言  オンカカカビサンマエイソワカ   」 (駒札説明文転記)

             
 本堂の南側の庭
 
              可愛い小狸。信樂焼でしょうね。

 
              
              
 
      
本堂南側の境内は静寂そのもの。緑が溢れていました。
この恵心院は「花の寺」として知られています

 
本堂の北西側にこの鎮守社があります。白龍大神社だそうです。(資料2)
      
 

『源氏物語』宇治十帖において、ヒロインの浮舟は宇治川で入水します。この浮舟を助け、新たな道を歩ませたのは横川の僧都。恵心僧都源信は、この横川の僧都のモデルともいわれています。

つづく

参照資料
1)『京都府の歴史散歩 下』 京都府歴史遺産研究会編 山川出版社 p64-65
2) ​恵心院​ :ウィキペディア

補遺
興聖寺​  ホームページ
東禅院​  :「曹洞宗近畿管区教化センター」
亀石楼​  ホームページ
朝日焼​  ホームページ
福寿園宇治工房​ ホームページ

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

こちらもご覧いただけるとうれしいです。
スポット探訪 [再録] 宇治 興聖寺細見 -1
  3回のシリーズでご紹介
スポット探訪&観照 宇治 恵心院 境内に咲くスイセンの花​  (2021年2月)
観照 [再録] 観桜 -10 宇治川の畔 朝霧橋、浮舟像、興聖寺、朝日山と仏徳山&平等院





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.08.09 00:42:36
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X