カテゴリ:PTAあれこれ
昨日は、小中三校あわせてのディスカッションタイム。
委員30人では、会議は出来ても意見交換はしにくいので、小さなグループに分かれて、小中一貫という形の中で学校運営協議委員の役割を課せられた自分たちに何が出来るか、何が課題か、をいわば「井戸端会議的」に語ろうよ、の会。 この形式でのディスカッションもすでに3回目。 ぢつは、これまでの2回は、議論が総論部分や導入部分を行ったり来たりで、これは何度回を重ねても委員のガス抜きが出来るだけで建設的な発言は生み出されないのではないかと危惧していた。 1)ひとりひとりいくつも課題となるキーワードを出し、KJ法のように付箋紙を用いて分類・分析していく 2)分析された課題に対して解決案をだす という流れで進行するのであるが、毎回「●●がだめ」「◆◆が課題」と課題があがり、「●●でなくす」「◆◆を解決する」が解決案という、それってなんなの?とう議論に終始していたのである。 今回は、幸いにも同グループになったA校長がだされた「ここが課題だから■■という方法で解決したい」という具体的な提案をきっかけに、多少「具体案」が芋づる式にでてくるようになったのではないかと思っている(もちろん、まだ総論でぐるぐる部分もアリはしたのだけれど)。 議論のための議論はではなく解決のための議論を交わす意識を、議論する自分たち自身が持つことが必要なのだと、気持ちを引き締めて。 一つに、興味ある議題としては、 毎年保護者に「学校評価」アンケートをとっている中で「わからない」という回答が多いのは「わからせていない」という実態も課題であるが、「わかる努力をしていない」という保護者の当事者意識の欠如も課題である。当事者意識を高める方法を検討すべきであるという点。 どんなに工夫してHPや発行物で活動を紹介しても、ウマに水を飲ませることができない道理で、保護者会に出ない(でられない)、授業参観にこない(こられない)、地域行事に興味がない(自分も参加しないし、子どもたちを参加させることもない)という人たちに学校の評価を問えば「わからない」のは当然の回答である。それでも回答してくれるだけ関心があるといえようが。 だから、アンケートに「あなたは何を努力していますか?」的な逆質問を加えて、当事者意識を擽るのが効果があるのではないか、あるいは課題が見えてくるのではないかという提案であった。利用者の感想の分析、無関心層を含めた市場分析が必要、ということですね。 保護者のことに限らない。 委員の中にある「自分たちの果たすべき役割がわからない」「教育過程について論ぜよと言われても教育者でないからわからない」「資料が多すぎて、よんでもわからない」という声。 確かに期待されていることは難しいことないのだけれど「わからない~」と言って済まされる立場はない、という自覚が委員自身に欠如していることも確か。 学校に「わかってもらえるための努力をせよ」というのであれば、自らにも「わかる努力をせよ」と戒めねばならない。それが引き受けた責任というものだ(いやぁ、大変なお仕事引き受けちゃいました・・・)。 話がそれるが、 学校評価に限らず、アンケートの自由記述を見ていると、「こいつとは一度、サシではなしをしたい」と思うことがしばしばある。誤解を解きたいという思いもあるが、意見を述べてくれると言うことは「無関心ではない」ということだから。顔を合わせて話を重ねたら新しい解決策が出てくるかもしれない。 んでもって、こんな大役を「ボランティアで」というところが、意識を高く持ち続けることに対する利点であり課題でもあるんだな。 金銭的なことでなくてよい。自分に対して見返りの期待があること、見返りを得るぞという貪欲な自覚があることが大事だな、としみじみ思うのでした。 (こんなものを抱えているから、仕事が探せないと思うのは、自分の無気力加減に対するいいわけに過ぎない)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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