カテゴリ:遊女asomeの「嗜み」
とっても難しいテーマですが、カイエソバージュ2と4を読み終わりましたので、書いてみたいと思います。
かつて日本の縄文時代もそうでしたが、先住民族と呼ばれる環太平洋を取り囲む「国家を持たない国々」には王は存在しませんでした。リーダー(首長)はいましたが、リーダーには権力はなかったのです。人々の問題をあくまでも話し合いによって解決し、多くのものを人々に与える役目でした。この国家をもたない文化は、自然と共存し、動物も植物も人間も、全てが一つの循環の中に生きていて、多くの精霊たちが存在し、死後の世界とこの現実の世界はメビウスの輪のようにつながっているという考え方をしていました。 自然と人は対称性をもって宇宙の一員として存在していたのです。 しかし、新石器時代のある臨界点を超えたとき、王となる首長が出現し、クニが発生しました。本来自然のものである権力=力は、社会のなかの王が体現する事になるのです。自然のものである力を王が体現するところから、対称性が実現できなくなってしまったのですね。国家は発生してからすぐに大きな帝国となり、発達を遂げました。この国家権力と対抗するような形で、新しいタイプの宗教が発生するのです。(ゾロアスター、ブッダ、イエスなど) 国家を持たない国々にはスピリットの世界がありスピリットの中により偉大なグレートスピリットがありました。グレートスピリットは、超越的な神に大変近いものですが、あくまで、スピリット界に存在します。しかし国家を形成した国では神は唯一神の神(超越的な絶対神)となっていきました。丁度、首長が王にならなかったように、グレートスピリットは、神にはならなかったのです。 現実のこの世界で、権力を行使して、自然環境を人間の所有物のようにしているシステムをあらためて考え直し、人類は、対称的な宇宙観をなんとか取り戻さないとならない切羽詰った状況に立たされています。 人間の脳の中には、3万年前に人間が人間となった時の脳の働きがそのまま残っていると、著作者の中沢新一さんはおっしゃいます。それは多神教的な対称性の宇宙観と、超越性へと変化していくように組み込まれた脳の働きを両方もっているということなので、「あらゆる宗教のあとに出現するもの」のイメージを創造してゆくことが可能だという希望がもてるということなのです。 この後、5に進むわけですが、一つ一つ、その文章にかかれていることは、非常に深い、それだけでも物凄く深遠な世界ですが、非常に読みやすく、物語のようにまとめられており、本当に感心します。特に、多神教と一神教的世界観の相違、そして王とクニの出現がこれほどまでに見事にリンクしてゆくところが非常に今回エキセントリックでした。 今まで神話を読みながら感じたこと、先住民文化に触れたときに感じていたこと、女性という性から感じる様々未消化な感覚がとってもよく整理されました。長い間追いかけてきたことが、このように繋がっていくことが快感です!(笑) とっても完結に、わかりやすく構成されていますが、どこを読んでも非常に広がりのある壮大なテーマです。 この面白さをどのように皆様にお伝えしたらいいのか。未熟ゆえに、面映い気持ちです。 とにかく、手にとってお読みいただけたらと願っております。超お勧めのシリーズです! (講談社選書メチエ 神の発明 熊から王へ 中沢新一著) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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