渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで4月8日から始まった「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」へ行って来ました。モディリアーニは、モンパルナスの貴公子といわれ、その写真を見るとなるほどとうなずける、まるで俳優のような顔をしています。ご存知のように35歳の若さで亡くなったのですが、イタリアの地で生まれ、幼い時から才能があったようですが、体も病弱であったようです。20代でパリに移り、まさに彼は『エコール・ド・パリ』の代表的な画家となりました。生きている間は、生活は非常に苦しかったようですが、彼がこのように有名なのも、35歳という若さで亡くなったこともありますが、実は妻のジャンヌの悲劇もあったのです。
貴公子と呼ばれただけあって、モディリアーニの女性関係は、ジャンヌに会う前まで、とても華やかでした。詩人で才能のあふれる女性たちとの激しい恋、そして別れ。しかしこのジャンヌについては、どちらかというと若くておとなしい妻であったということでしか語り継がれていなかったようです。また、モディリアーニが亡くなってすぐに身ごもった体で後追い自殺をしてしまったという、悲劇的な側面でしかとらえられていなかったのです。しかし、若き妻ジャンヌは、画学生であり、一緒に暮らし始めてからも何枚もの絵やスケッチを残し、明らかにモディリアーニとジャンヌはお互いの才能を認め合い影響し合っていたということが、二人の絵の変遷をみると良くわかります。ジャンヌは非常に魅力的な絵をかく女性だったのですね。
最近になってジャンヌの遺族が保管していた多くの作品が見つかりました。そしてこのつど、パリ、ミラノに続き、日本で初公開となったのです。画家『ジャンヌ・エビュテルヌ』の絵は才能にみち、柔らかい女性らしい実に魅力的なものでした。二つの才能は、決して反発しあうことなく、互いに溶け合い、見事に融合しているように感じます。
モディリアーニとジャンヌは、ディエーゴ・リべラとフリーダ・カーロのカップルを彷彿させるような、アーティスト同士のカップルだったんですね。まさにドゥマゴのある、パリチックなBunnkamuraらしい企画ですね。二人の生きた証の作品がかもし出す空気に包まれた後は、もちろんカフェドゥマゴでカフェオレとタルト・タタンを楽しみながら、遠い過去のパリに思いをはせて時を過ごしました。