ちーちゃんの衣旅住

2011/07/14(木)09:21

ルーツ、ルーツ。江戸から明治維新編その3

旅(国内)(227)

明けて翌日の朝。 「長崎は今日も雨だった~♪♪」って歌ってる場合じゃないよ、豪雨じゃん ま、でも仕方がないので、出かけることにします・・ 異国情緒あふれるオランダ坂をさるく~。 ここから山の手が外国人居留地に指定されていたそうで。 まずは、大浦天主堂を見学↓ 国宝なんですよ~ 正式名称は『日本二十六聖殉教者天主堂』というのだそうで・・・ その由来は、1597年に秀吉のキリシタン弾圧により、 ここ長崎で処刑された信徒26人を悼むために建てられた教会。 でも処刑されたキリシタン26人のうち長崎の人はたったの2人だったんですって。 京都や大阪からキリシタンがここまで引き回されて来たそうです。 では、何故に長崎で処刑?? 長崎は海外貿易で栄えていたため、ポルトガル人などの居住が多く、 当然キリスト教が盛ん。表向きはキリスト教禁止とは言っても、 海外交易でもたらされる経済的繁栄は欲しいのが為政者の常。 なので、長崎在住のキリシタンを真っ向から弾圧することができない・・・ それゆえ、他からキリシタンを連れて来て、見せしめのためにここ長崎で処刑した。 うーん、嫌ですね。政治と宗教。 現代に至るまで世界共通の悩み。切っても切れない・・。 そんな感傷にひたりながら・・天主堂横の丘を上がると、かのグラバー邸。 坂本龍馬もここに出入りしていたんですよね・・・うーん、不思議な気分。 グラバーから鉄砲を買い込み、長州藩に売ったんでしたっけ?? それで、高杉晋作は幕府軍を撃退?! この高台からは、長崎湾が手に取るように見えます↓ 龍馬もここから世界を見ていたのか・・今は造船所の煙突だらけですが・・ 当時は外国船がプカプカ浮かんでいたのでしょう・・。 江戸から明治へ、時代の変わり目に立ち合ったグラバー邸です。 さーてと、午後は龍馬続きで、亀山社中を訪ねてみよー。 ☆☆☆~☆ アトリエ3C+U建築設計事務所 代表 岡部千里

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