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カテゴリ:ねこちゃんのこと(猫)
今日は月参りの日なのでお寺さんに来ていただいた。
読経の後の雑談の時にあとむが死んだ時の事を聞いてみた。 隣の市にペット霊園があるがそこにお願いしたとしてそうさいさい お参りにいけない。 それだとかえって寂しい思いをさせるので、それなら庭の片隅に埋めたらどうか聞いた。 答えは「それは駄目」 あとむは猫として生まれたのだから、今私たちが出来る事をしてやれば、冷たいようだが死んだ後は忘れてやるのが一番良いと。 いつまでもあとむに思いがあるのはあとむにとって良くないと。 たしかに人間でも魂はしばらく生きている人達の近くに留まっている。いつまでも死んだ人の事を可哀想だ悲しいとか思っているとその人は次の世界?へ行けない。 (らしい。残念ながら経験がないので判らない) きっとそれと同じだと思う。 だから今生きているあとむを大事にしよう。 きっと死んだでも忘れる事は出来ないけれど、一緒に暮らした楽しい思い出は大事にしたい。 お寺さんはご先祖様を大事にして供養すれば(別に特別なことでは無く日々仏壇で手を合わせたり、お墓参りしたり) それがあとむへの供養になると。 あの世?でみんなが仲良く暮らせると言う事なのかな。 朝から先日の台風と地震の被害の大きさが報道されて心が痛みます。 本当に日本はどうなってしまうのだろう? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年01月14日 16時22分14秒
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