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3.11。3年。
震災後4カ月に石巻に足を踏み入れた時、目の当たりにした被災地の光景、匂いは今も脳裏に焼き付いている。 瓦礫処理作業は更に心が張り裂けそうになった。写真、ネクタイ、色々な物が出てきた。作業をする人々は言葉を失い、黙々と作業をしていた。 そこで会った被災者の女性の言葉。「家もダメになってしまったけど、私は生きてるから、瓦礫のマドンナで頑張る」 作業員宿泊場所の松島で、いち早く営業再開していた牛タン屋お店の若者が、「どこからいらっしゃったのですか?ありがとうございます!また来て下さい!頑張ります!」と笑顔で一生懸命仕事をしていた事、 物資配給に行った集会所では、真っ暗な避難所での壮絶な数日間のお話、 孤立したエリアのコンビニ駐車所に、救助ヘリに向けて書かれた 「出産 HELP」の大きな文字、 大垣の皆様のお力でピアノを寄贈出来た大船渡小学校で聞いた、震災当日のお話、子供達が泣き叫ぶ中、先生方が子供達を担いで避難させた事、そして子供達から消えた笑顔を取り戻すまでの道のり、 その子供達がピアノのお礼にと歌ってくれた歌など、忘れられない事が沢山。 石巻、気仙沼、大船渡、陸前高田、塩釜など岩手県から、宮城県の沿岸部、行ける限りの所に行きました。行かずにいられなかった。 自分が普通の生活が出来ている事に罪悪感が生まれ、またここに来なきゃと思った。 支援活動もあれば、復興プレハブ商店街に行きその土地の物を食べに行ったり。 時々支援活動に足を運ぶ位しか出来なかったけれど、その度事に胸を締め付けられる様な現実を知り、私は何が出来るのだろうか…と無力感でいっぱいになったりもした。。 被災地の人々は失われた家、家族、悲しい姿になってしまった故郷の中、仮設住宅で今もそこに生き続けている。 それはどんなに辛い事か。。。 悲しみというのは同じ経験をした者でないと解らないと思う。。 被災地に行って話を聞いたって、それを経験していない私は解らない苦しみ。解ったつもりになってはいけない。 しかし寄り添う事は出来る。 被災地に足を運びたくても行けない人が大半だと思う。 行けなくても、忘れないで、出来る事はある。 でも自分の心に余裕が無ければ人の事まで考えられないもの。 私自身も時間と共に支援活動をする活動、時間が減ってしまっている事、被災者の人々に申し訳なく思う。 苦しむ人を見捨てない人間でありたい。自分も辛い時には沢山の人に支えてもらえた。 「自分は一人で生きられる。」なんていう強がりな人もいるけど、心が満たされてない偏屈な発言で寂しい。 人は皆絶対一人で生きていない。 3年経った今も仮設住宅で暮らす人々、夢を諦めざるをえなくなった若者達がいる。 音楽の道を諦めなくてはならなくなった子供達もいる。 それぞれに今出来る事を。 私は「被災地にピアノをとどける会」を通して被災地に音楽が溢れ少しでも笑顔が増える事を願いたい。 ブログを含めFBにも何度も何度も書いてきた被災地のお話だけど、敢えて書きました。 私自身も忘れないために。 生きている事に感謝して、 自分の道をしっかりと歩みたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014年03月11日 10時45分45秒
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