パスキン展スタート
この連休から、宇都宮美術館でエコール・ド・パリを代表する画家の中でも、日本人に根強い人気のあるジュール・パスキンの企画展がスタートしています。なぜか、はるるさんもそのオープニング・イベント&内覧会に出席して来たのですが、その中心となる油彩画と並んで、緻密かつ奔放なエッチングを始めとする版画の数々が、おいらの事前の想像以上で魅せられました。市役所の来賓や美術館館長などのテープカットには、宇都宮のアーティストを育成する賞金200万円のエスペール賞の第五回受賞作家なども、初々しく緊張した表情で参列。周囲は、新緑がまぶしい手付かずの里山風景が広がっていて、とてもすがすがしい立地。周辺は自然公園になっていて、「アートの森」と呼ばれています。ついつい、破滅的でドラマティックなその生涯を重ね合わせてしまうと、その破綻の無い色彩構成のなかにかえって調和しない精神の危うさが背後に見えて来そうで、ゾクゾクしちゃいます。 Le Dejeuner, 1923ジュールズ・パスキン(Jules Pascin, 本名 ユリウス・モルデカイ・ピンカス Julius Mordecai Pincas, 1885年3月31日生 - 1930年6月5日)はブルガリア人の画家。エコール・ド・パリ全盛の1920年代、モンパルナスで華やかな浪費生活をし「モンパルナスの王子」の異名を得た。1885年3月31日 ブルガリアのヴィディンに穀物商を営むユダヤ系一家に生まれる。 1902年 ヨーロッパや北アフリカ、アメリカなどを旅行。ウィーン、ミュンヘン、ベルリンなどでデッサンを学ぶ。ミュンヘンで「ジンプリツィシムス」の挿絵画家として専属契約を結び、早くも素描家として高い評価を得る。1905年パリ移住。本格的に油画に取り組む。サロン・ドートンヌやアンデパンダン展に作品を発表する。1913年ニューヨークで行われた大規模な展覧会「アーモリー・ショー」に選抜され出展。 (アーモリー・ショーはアメリカで初めて本格的にヨーロッパのモダンアートが紹介された展覧会。デュシャンが『階段を降りる裸体No.2』を出展し名声を博した。)1914年第1次世界大戦を逃れ、ロンドンへ。 ニューヨークへ行き展覧会に出品。具象的な作品を描き始める。 その後、フロリダ、キューバへ行く。 1918年エルミヌ・ダヴィットと結婚。 アメリカの国籍を取得。1918年第1次世界大戦終結。 1921年、パリのモンマルトルに居を定める。 独自の画風を確立し、成熟期を迎える。 カフェの「ル・ドーム兄弟」や「ラ・クーポール」などで華やかな社交生活を送るも、アルコール依存と鬱病に苦しむようになる。 友人ペル・クローグの妻のリュシーと不倫関係になる。1930年6月5日 浴槽で手首を切り自殺。ドアに血文字で「ADIEU LUCY」(さよなら、リュシー)と書かれていた。パスキンの葬儀の日にパリのすべてのギャラリーは閉じて喪に服した。 何千人もの知人がサントゥアン墓地まで3マイルの道のりをパスキンの棺の後に列を成したという。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 繊細な線と煙るような色彩に宿るメランコリー花束をもつ少女[油彩・キャンバス 1925] 北海道立近代美術館淡い色調にこめられたしなやかな叙情果物籠を持つジュヌヴィエーヴ[油彩・キャンバス 1929] 熊本県立美術館この2点のパスキン作品の画像出典:IPA「教育用画像素材集サイト」インターネット美術館よりパスキン「エコール・ド・パリのリベルタン(自由人)」 2008年04月29日 10:00 ~ 2008年07月13日入場料一般 600円 (480円)、 大高生 400円 (320円)、 中小生 200円 (160円) * ( )内は20人以上の団体料金アートスペースの開館時間は 9:30から17:00まで月曜休館ですが、月曜日が祝日の場合は月曜日開館、翌日火曜日休館 ただし、5月5日 (月) は開館エコール・ド・パリとは「パリ派」の意味で、20世紀前半、各地からパリのモンマルトルやモンパルナスに集まり、ボヘミアン的な生活をしていた画家たちを指します。厳密な定義ではないけど、1920年代を中心にパリで活動し、出身国も画風もさまざまな画家たちの総称。1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれます。 印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけでなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではないようです。モディリアーニをはじめ、個性的な画家が多く、後の世代の画家たちへの影響も大きい存在。フォーヴィスム、キュビスムなど、20世紀初頭の前衛的な芸術運動をさまざまに経験し、しかしそれらを安物の借り着のようにあっさりと脱ぎ捨て、ヨーロッパ諸国、カリブ海諸国、アメリカ大陸など、絶えず放浪の旅を繰り返しながら、独自の世界を追い求めた孤高のユダヤ人画家パスキン(1885- 1930)。本名ユリウス・モルデカイ・ピンカス。「PINCAS」のつづり字を並べ替え、「PASCIN」と記したこの画家は、1885年、ブルガリアのヴィディンに生まれました。早熟の天才と謳われるように、弱冠19歳で挿絵画家としてミュンヘンの著名な雑誌社と専属契約を結び、画家としての歩みを始めました。いつのときでもパスキンは、何かにとりつかれたように、寸暇を惜しんでデッサンをしていたと言われています。カフェに入れば、もみ消したマッチ棒などで、絵を描いていたと伝えられています。彼は女性を数多く描き、赤裸々な姿を、軽いタッチで暴いていきました。ときにエロティックな欲望に任せた本能的な制作態度は、そのまま彼の生き方にも通じていました。が、人気の絶頂にあるさなかの1930年6月、彼は手首を切り、自らの命を絶ちました。わずか45年間の生涯で残された作品群は、しかし膨大な数にのぼります。そのほとんどが、放埓な日常生活からインスピレーションを得た作品で、いわば彼の人生の断片といえるものです。本展は、北海道立近代美術館所蔵のパスキン・コレクションから149点を精選して展示します。「エコール・ド・パリのリベルタン」パスキンの魅力を再発見する貴重な機会となることを願います。(解説より)今回は、時間が朝の9:00からでしたので、オープニング・レセプションとしての立食パーティーはありませんでした。隣接したレストランで使える、当日のみ有効のデザート付きの飲み物券が、パスキン展の図録といっしょに。内庭では、つつじとレンギョウが花盛り。エントランスからも見える、クレス・オルテンバーグ制作の巨大な絵の具のオブジェの名称は・・・「中身に支えられたチューブ」だそうです。ぐにゅぐにゅしてる白い中身の絵の具を搾り出しながら、巨大なチューブが不思議に浮遊してる感覚がおもしろいですよね~かわいいしカッコイイな。【はるるが過去に書いたアート関係日記(の、一部)紹介】 ↓ ↓「王様」に変身する~古代オリエント博物館★サンシャイン池袋横須賀美術館の海色映像】森の青空図書館~妻有アート2006 娘の新作彫刻展~せんだいメディアテーク 映像】家族で宇都宮美術館&松本哲夫ギャラリー・トーク。奈良美智「ともだちがほしかったこいぬ」青森県・弘前市 ☆桜の季節の笠間にある日動美術館で。東京都写真美術館★メディア芸術祭に行って来ました。 スペインの旅★ガウディの懐しい曲線の街バルセロナ映像】オルセーの迷い方?~印象派・名画たちの素顔 ☆オルセー美術館・PARIS映像アルバム】軽井沢セゾン美術館~再読・聖と俗 映像】草間彌生「花咲ける妻有」~遅く起きた朝は・・ ダリ劇場美術館(スペイン)改訂版 これは↑東京ミッドタウンの前にある交差点の、サインボード。阿修羅王の面影~東京都美術館・五美大の卒展から もし、この日記を気に入っていただけたら、ぜひクリックをお願いしますね。アジアを始めとする世界各地、選りすぐりの旅行好きたちのHPが見られるランキング集にジャンプします♪人気blogランキングへ