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今日は、またまたプチこもりっちをしていた。
洗濯(雨なのに)をして、ネットで派遣情報をゲットしたりしているうちに、頭痛がしてきて眠ってしまった。 そんな昼寝があったからか、夜寝れなくなってしまった。 夫を晩酌に誘うも、あっけなく去られ(ひー)独りビールを傾けたりしつつ。最近飲んでいないからか、とっても弱くなってしまい、コップ1杯もあけられずに頭痛がしてベッドに潜り込む。しかし、そうしながら考え事がよぎりまたまたしばらく眠れなかった。 いろいろなことを考えながら、最後に弟のことを考えていた。 わたしには、弟が二人いた。一人は6歳下で、今のんびり暮らしている。 もう一人は3歳下で、この弟は1歳を迎えることができずに空へ旅立ってしまった。 当時3歳だったわたしは、この弟について覚えていることといえば、たった二つのことしかない。 ひとつは家で友達と遊んでいて騒いだら、「大きな声を出さないで!ほら泣いちゃって紫色になっちゃったでしょ。」と怒られたこと。そして、救急車にのって病院に行った日のこと。 わたしの母親は、絶対にこの子の話を出さないできた。 思い出さないわけではない。供養もきちんとしている。 ただ、家族の誰もが話題にできない雰囲気を母は発していて、それを皆が察している風だった。 わたしはどこかそれにしこりを持ちつつ成長し、ある漫画に出会う。(漫画かい、と言われても、そうなのだ) 「少年は荒野をめざす」吉野朔実 作 この漫画の主人公は幼いとき兄が病気で空に旅立ってしまう。その兄との想い出を母親に話すことができないでいるのだが、ある日一目惚れをした男性にその兄を投影してしまう。その男性は複雑な環境下、失踪をしてしまうのだが、そこでその男性に対しての自分と、両親に対しての兄の気持ちを併せて心の中で訴える場面がある。 「なかったことにしてしまわないで!」と。 母は、母なりに乗り越えなくてはならないものがあったのだろうし、深く傷ついたことは間違いない。 でも、この漫画の主人公の気持ちととてもシンクロした。 (もちろん、無かったことにしたわけではないのだが、想い出を、大切だった時間を語れないことは、わたしにとってはそれに等しいと、そのとき思っていた。) 時は流れ、わたしが妊娠し、早速切迫流産で入院を余儀なくされたことがあった。退院したとき迎えに来てくれた母が実家へ向かう車の中で、重い口を開いた。弟のことだった。 母は、原因が自分にあるといって自分を責めていた。 当時(約30年前)、妊婦検診のエコーなども無い時代。 弟の異変に気付いたのが生後3ヶ月検診だったこと(1ヶ月検診では「健康」とされた)、最良の治療を受けさせることができなかったことなどを悔しがっていた。 そのとき始めて、その弟の名前は父がつけたことも話してくれた。(私と、その下の弟は母がつけた)わたしは、その弟の名前を気に入っていて、わが子に付けたいと思っていたくらいなのだが、なんと父がつけていたとは、とこのとき始めて知ったのだった。ただ、確かにその語意として「しきりなおす」というイメージもあったため、良くなかったのか。と、父も後悔したらしい。 切迫などで、危険もあったが、なんとかむすこは生れてきた。 産褥期を実家で過ごしている、ある夜のこと。母が古びた箱に入った一冊のアルバムを引っ張りだしてきた。 弟のアルバムだった。 「ずっと開けられないでいたんだけどね。」と。 そこには、堂々と、まるまると太った赤ちゃんが写っていた。本当に、病気を持っていたなんて思えない程、元気そうで、ふっくらしていた。写真は、皆でお正月を迎えたところで終わっていた。 母の中で、娘に子が生れたことで、ある種自分の中にあった何かが解かれたのかもしれない。 それはすごく大切なことだと思う。 昨今の医学の進歩は目覚ましい。 わたしは、それをすごく嬉しく思う。 もちろん、あのときにもし、と思わなくもない。 でも、一人でも多くの命が助かること、それをきっと弟も望んでいるに違いないと思うから。 その弟は7月生れ。もしかして、今日が誕生日だったのかな。それで思い出したのかもしれない・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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