|
カテゴリ:映画
この映画 ラウ様がすごくステキだと昨日書いたのですが・・
いや ホントにステキだったんですよ。 ちょっと禁欲的なところが華仔の目力でなおいっそう研ぎ澄まされて すごく美しかったんです。 でも 大きいスケールの中で それを捉えるのは ちょっと厳しいかなぁと。 「大群衆の中」では いかな華仔のオーラといえども一割がた威力が軽減しちゃうかなぁ。 (あぁあ もったいない~~~~!!) 華仔の演じる「革離」は もう彼そのものに見えてしかたがなくって(笑) すごく理想的な理念で人々をぐっとひきつけていくんですよ。 (かつて ファンの集いで あるファンに「勉強もしっかりなさい」と説いて聞かせたって話しを聞いたことがあったのが原因だと思うのですが(笑)) そんな彼にひかれていく 子団(ウー・チーロン(うぅ なつかしぃぃ!!))と 梁の王子 梁適(SJのシウォンです。) こうして新しい風が入ってくることによって それが自分たちの理念と相反するものだと知るや否や そして 自分たちへの利益をうけとってからそのあとは 排斥に向かう 古い体制の者たち。 つまり 梁王とその周囲のものたち。 まちがった考えは 決していい方向には向かわないはず!って イラつきながら見てました。 ・・・・・でも 戦乱の世の中の処世術としては そうであってあたりまえなのだけどね。 そして 国の命により梁を攻める趙の将軍。(アン・ソンギ先生っ!きゃ。) 革離の力量を知ってしまったからこそ彼を倒したいという気持が強くなって ・・きっとこんな場でなければ いい友達・・・いやライバルとして付き合えただろうと思わせる 戦場にありながらも 深いところで理解しあっている 2人の男。 ちっちゃな でも重要な対立があちこちにちりばめられています。 火の音やものが燃える音 刀の音 おそろしい音もあちこちからしてきますが あちこちの緊迫した対立の中では その音もきにならなくなっちゃってました。 墨家の思想は 平和であれば 意識して自分を律していくことができるのですが 戦場の中では 効をなさない。 それが証拠に 最後は それぞれが予想もしない進み方をしていくようになる。 「国を守ることはできるが 愛するものは守ることが出来ない不条理」に悩む革離 「悪が栄えてしまう顛末」・・・(最終的には 「やはりね。」な最後になったのですが それはテロップで流れるって処理なのが なんか悔しかったり。(ご覧になってない方 ごめんなさい~~)) 「殺した数が手柄である」という言葉 自分でたてた戦略によって苦しんで死んでいく敵兵の姿におろおろと慌てふためく華仔の姿が印象的でした。なんだか人間らしくって・・っていうと言葉がアレだけど 「迷い」がある人であるところにほっとしたというか。 悟りきっていると思われる「墨家」の者であっても やはり迷うし 悩むのだなぁと。 「いちばん守りたいもの」を見極めることの難しさ・・・・「理想」と「現実」。 極めたものであっても 最後まで悩むのだな。(煩悩煩悩。) ところで ボッコウなのか ボッコウなのか。 チケット買うときに「『ボッコウ』いちまい。」って窓口でゆうたら 「はい『ボッコウ』ですね?」 「いえ『ボッコウ』です。」・・・って 笑えないギャグを 窓口のおねーさんと繰り広げてました。 ぱぼやん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.06 18:48:37
[映画] カテゴリの最新記事
|
|