カテゴリ:カテゴリ未分類
入院中も退院してからも、昼も夜も、「力をくれ」と叫びたくなることがあります。
歩く力だったり、治る力だったり、生きる力だったり、いろいろです。 そんな力、誰にももらえないことは分かり切っています。すぐにそのことを思い出します。そして、誰かに泣きつこうとした自分が哀れに思えます。 力はもうここにあるから、自分にそう言い聞かせます。 ヒポクラテスが唱えた自然治癒力のことは知っていました。 病棟のスタッフが起こした事故のフォローアップとして私に付き添ってくれた主治医に、私はこう話しました; 「先生はやるだけのことをやってくれたから、ここから先は私の中の治ろうとする力に頼るしかない。それを看護士が邪魔するとは。首の骨を折って入院している患者の首にダメージを与えてはいけないことぐらい私でもわかる」 "力が・・・欲しいか!?力が欲しいのなら・・・くれてやる!!" この魅惑的な台詞も記憶にあったのでしょう。受傷の1年くらい前にたまたま目にしたテレビアニメ PROJECT ARMSです。 主人公の体の中に移植された金属生命体ナノマシーンがこう問いかけます(「くれてやる」にしびれます)。主人公はこの問いかけに「欲しい」と答えるだけで強大な力を手にすることができます。 ところで、力のありかとして私が認識した場所は、脳の器である頭でも心臓が収まっている胸でもなく、丹田としての腹でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.05 13:36:55
|