カテゴリ:カテゴリ未分類
子供の頃の夢はなあに?
お花屋さん、看護婦さん、ケーキ屋さん、お嫁さん 女の子なら色々あったとおもうんですが、私は違ってました~ 「漫画家になりたいー★」 ほんと変わった子供です(笑) ずーっと子供の頃からおもってました 元々そんなことを思い出したのは、従姉妹のおねーちゃんが、イラストが上手で、銀河鉄道999のメーテルをすごく上手に書いて見せられた事がきっかけで自分もこんなに上手になりたい~★と 思ったものです。それまでも絵は凄く好きで、みんながお花を書いている横で、キラキラオメ目の女の子をかいてたりするような子だったみたいです。 とにかく初めは、アニメのキャラを模写模写の毎日。 凄く好きなキャンディキャンディの絵のついた玩具を見ながらや、昔よくあった薄い写し紙に写して書いたり等。 そして、そんなこんなで小学生にようやく行く事になり、学校で健康診断を受けた後、楽しいはずの小学校生活が一転しました。 それはおなじみのツベルクリン反応の注射でした。他の子より腫れが大きくて陽性と判断されたので、一応病院で詳しい検査をしに行きました。 こんな事はよくある話だという事だったので精密検査を受けた所。結果がわかり両親は愕然としたそうです。 結果はそこの病院では判断は無理との事、専門の医療機関に回されました。そして山の奥の療養所につれていかれ。検査をした所。 「小児結核」 そう判断されました。結核は昔で言う所の不治の病、でも幸い私の病気が分かった頃丁度いい特効薬が出来ていました。 先生の言う所によるとあと2年早ければ、死んでいたかもしれません。 そして、楽しいはずの一年間は療養という期間に潰されました。 最初の頃は少し体調もよくなく、大人しく寝てましたが、数ヶ月いる頃にはすっかり見た目は元気になり、しかも長期療養なので、もうすっかり病室の主。 といっても療養所はそういう結核専門の棟があり、みんな同じような病気の子ばかりがいる部屋にいたのでちょっとした合宿状態。 丁度学校の先生も入院していたので、時間の空いているときに勉強も教えてもらいました。 もう小さい頃から、父親に百科事典を与えられて読んでいたので、小学一年生の頃に覚えるはずの、ひらがなカタカナ、ABC、数字はもう小学校前にマスターしたので一年間行かなくても特に問題は無かったので、そこらへんは特に不自由はしなかったです。 親にも、一年の勉強のドリル、学校の先生がプリントをまとめてくれていたようなのでそれをやったり… でも、退屈でした~ 一日病院で朝、昼、晩を食べて薬をのんで、午前中は点滴したり注射をしたり、時々血を採って、レントゲンを取ってなんてしたりすると嫌になりました。 なので唯一楽しみは毎月発行される、漫画本、りぼんとかちゃおとかの雑誌やそれを見て絵を書いたりする事。マンガ読んで絵かいて~なんてやってましたねぇ 小学校一年で定期購読本5冊位ありましたね(笑)今じゃ考えられん~(^-^;) とにかく私には絵が全てだったといってもいいかもしれません。マンガの中の主人公はいつもキラキラしてて健康で、楽しく学園生活を送ってなんて夢のまた夢でした。 そんな楽しいマンガを書いてくれる漫画家の人は本当に尊敬してて、自分もこんな絵やマンが書けるようになれるといいなぁ~とその時感じていたのかもしれません。 約一年間入院生活をしてその後無事退院。学校に復帰は暫らくお預けでした、二年生になったら学校に、それまでは自宅で療養しました。一ヶ月少しは家で、やはり漫画みたり、絵かいたりしてましたね。 二年になり学校にいけるようになった私は、一年ぶりに会う友達にドキドキしながら、学校に行くとそこで待ってたのは、まるで転校生がきたような反応の友達。 幼稚園で一緒だったはずの子も「誰だっけ?」という反応。 しばらく、なじめないで苦労しました。 それに病気の後なので、激しい運動も駄目、プールも駄目、学校後の友達との外遊びも駄目。制限が多くてホント嫌でした。 なのでやっぱり私には絵が友達だったんです。 ひたすら絵、とにかく絵なんです、いやなことも、悲しい事も全て絵で発散。今の現実とはちがうキラキラした世界を一生懸命書いてました。 本当は元気に友達とたくさん遊びたかったんだろうなぁと今そう思ったりします。 とにかく、絵を上手に書いてると友達が寄ってきてくれたし、とにかく、一年間友達と上手に付き合う方法を学ばなかった私にはひたすら書くという行為が友達を増やすきっかけだったのかもしれません。 小学校三年の時に風邪をこじらせて、肺炎になり、また同じ病院に半年ほど入院しました。 やはりひすら絵書いて、勉強遅れないようにしていました。 病院は退屈でした。親もいないし、手料理も食べられない。 美味しくない病院食に飽き飽きしながらなんとか過ごしました。 もちろん一年の時に入院した時も親は付き添いませんでした。その頃はすでに完全看護という制度があったので、時々親がくる程度でよかったのです。 今思うとよく一人でいられたナァと感心。 その後無事又復帰して暫らくはまた、運動不可生活が続きましたが、少しずつ健康になりました。六年になればプールもできる用になり運動会も出られるようになりました。 その後も半年に一度、一年に一度、と検査の期間が延びて、今では 全然病院に行ってません。時々レントゲンを取ると昔の古傷の影がみえますが、問題ないそうです。 とにかく、健康は一番大事なものだと思います。病気にならないと健康のありがたみが分からないと思うけど、特に子供の頃の病気の代償はかなり大きいものがあります。 私はなんとか色々な手で乗り切れましたが、中にはそれが無理で引きこもったり、悩んだりしている人も世の中にはいるのかもしれません。 今は何でもあるので恵まれている環境が整っていると思います。暇なら携帯ゲームがあるし。 昔そんなものがあったら、もしかすると絵なんか書いてなかったかもしれません。これも何かの運命なのかもしれませんね★ 昔から絵が上手なわけじゃなかったです。ただひたすら書いて書いて書きまくった結果、一つの夢が叶っただけの話です(笑) とにかく『夢』ってのは叶わないものではなくて、一つの大きな生きるための目標なのではないかな?とそうおもってます。 そして、頑張って努力すればきっと叶う素敵な魔法だと思ってます。 健康を維持して、夢を持ってみてください。 どんな夢でもいいです。それに向けてがんばって歩いてみてください。 やってくうちに、初めはつらいかもしれないけど、だんだん少しずつできるようになってきます。 とにかくコツコツ小さな事から始めましょう。 良く正直ものは馬鹿を見ると言われますが、馬鹿で何が悪いんでしょうか? 何もやらずに、ただみているだけよりずっといいと思います。 自分のやれる事、やりたい事、自分が決めた事は責任をもってやる努力をしたいなぁと思います。 次の夢はもっともっとたくさんのみんなにマンガを読んでもらえる事が夢です。欲を言うならTV家されたり、映画化されたり。 色んなグッズがでたり・・・等々(爆) 大きすぎる夢ですかね? それでも構わないです、とりあえず出来る事をやりたいです♪ なので影でそっと応援しててくださいね(笑) ちょっち真面目でかいちゃいました★らしくなくて御免なさいm(_ _)m 最後にあづみんの日記の中心で叫ぶ(笑) 健康結構!夢はでっかく、ハッスルハッスル★なんじゃそりゃ(^-^;) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|