『しとやかな獣』
『映画の中の絵画』連載13 『しとやかな獣』大映東京:1962年川島雄三監督【あらすじ】 郊外の団地。そのなかの一棟の4階に前田時造一家4人が住んで射る。前田時造(伊藤雄之助)は元海軍中佐。戦後、苦難のどん底生活を経験した彼は頑固な偏屈者になり、自宅にとじこもって妻よしの(山岡久乃)ともに子供二人----実(川畑愛光)と友子(浜田ゆうこ)----を操って強欲をきめこんでいた。息子の実を芸能プロダクションにいれて会社の金を横領させ、娘の友子を小説家吉沢(山茶花究)の二号にして貢がせているのだ。 友子が吉沢との別れ話を持ち帰るが、吉沢にはまだ未練があるとみた前田は妻ともどもひたすら恐縮してみせる。 一方、実は会社の会計係三谷幸枝(若尾文子)と肉体関係があった。子持ちの未亡人の幸枝にとって生きる道は、その肉体を資本に男たちを操り、金を貢がせることだった。溜め込んだ金をもとでに旅館を経営するのが幸枝の夢。いまやその念願がかない旅館を開業するはこびとなった彼女は、実に別れ話をいい、実との取り引きはすでに終了していると宣言する。芸能プロダクションにも辞表を出した。社長の香取(高松英郎)は、恩を仇で返すのかと息巻く。彼も幸枝と関係があったのである。しかし幸枝は香取の尻尾をつかんでいる。香取は彼女に貢ぐため会社の金を使いこみ、そのうえ税務署の神谷(船越英二)に賄賂を渡して抱きこんでいたのである。幸枝は神谷とも肉体関係を結び、神谷が香取から受取った金は、神谷が幸枝を抱くたびに彼女のふところへ入るというわけだった。 嫉妬にもだえる実をしりめに、三谷幸枝は前田時造一家のまえで昂然とうそぶいてみせる。さすが強欲の前田も驚嘆するばかりだった。 神谷の汚職がバレて税務署を免職になったと聞き、幸枝は一瞬驚く。遠からず香取と実も逮捕されるだろう。しかし自分は何も恐れることはない----。彼女は実たちに絶縁を言い渡して立ち去る。 神谷が幸枝をさがして前田家にやってきて、むなしく帰る。時造とよしのがビールのグラスをかたむける。団地の屋上から神谷が落下してゆく。---------------------------------------------- 団地のせまい部屋のなかだけで進行するじつによくできた脚本である。原作・原案・脚本ともに新藤兼人。たしか舞台劇としても演じられている。映画は川島雄三のけだし怪作というべきだろう。 この映画のなかでなんとも不思議な小道具として登場するのが、ルノワール作の絵画。もとはといえば小説家吉沢のところにあったのだが、いまは前田時造のアパートの壁に飾られている。 ----私に言わせれば、いささかゲンナリのシチュエイション。 たしかにルノワールの作品は少なくはない。それでもなお、世界の何処にルノワールのどんな絵が所蔵されているかということがまったく分らないわけでもないのだ。世界市場を流通し、美術史に足跡を残すほどの画家の作品というのは、たとえてみれば番号が付いた〈お札〉のようなものなのだ。 川島雄三がそんなことにとんと無頓着な監督だったということか。あるいは映画のなかで狂言廻しの小道具としての絵が必要。誰でも名前ぐらい知っている画家。それじゃあ、ルノワールでどうだ? うん、それで行こう。と言うような具合でルノワールの絵が出て来たのかも知れない。----ある種の文化的環境においては噴飯物と受取られかねないことを平気でやってのける。なんともはや。 いやいや、そうではあるまい。川島雄三がしっかりした考証を指示する映画作家だったことは、藤本義一氏が証言している。 「天文学について調べて来なさい。そして、写真が必要なら、このミノックスキャメラ、持って行きなさい。小道具はひとつ凝りましょう。わが国の古くからの天文学、それに現代の天体望遠鏡まで、詳しく調べてくるのでげす。物干竿一本使うにも、民俗学的な考察は必要でげす。茶筅ひとつでも、あの先がいくつに分れているかを調べる必要があるのでげす」(『生きいそぎの記』より) だとすれば、このルノワールはいったいどうしたことだろう。 われながら意地悪い言い方だけれども、やはり、世界的画家の1点の絵の背後にひろがる広大で厚い文化的環境について、たかをくくったとしか私には思えない。コメディーだから、あるいは映画的フィクションだからと。 さきに述べたように世界の巨匠と言われるような美術家の場合、間違いなく〈全作品〉の詳細な調査がおこなわれている。そのようなカタログを〈カタログ・レゾネ〉と言う。それには作品の来歴や移動なども記録されている。ルノワールの油絵なら、“F.DAULTE, Auguste Renoir, Catalogue raisonne de l'Oeuvre peint, Lausanne, Tome I, Les Figures(1860-1890), 1970”などがある。つまりこれは、ルノワールの詳説付き全作品カタログのうち油彩画の第1巻、1860年から1890年までに制作された人物画を収録しているのである。作品写真はもちろんのこと。保存状態について、あるいは視認できないレントゲン検査等による組成状態等、そしてルノワールの手からどのような過程を経て現況に達したかなどが記録されているのである。ルノワール作品が売り立てになる場合、オークショニーはまずこのカタログによって調査をおこなっているだろう。 もっとも画家は生涯に数千点、数万点という作品を制作している場合があり、そのすべての消息が判明していることはむしろ少なく、カタログ・レゾネに載っていない作品が出ると、新発見かさもなければ雁作ということで、美術界がいろめきたつことになる。 出所が正しい名画コレクションが売りに出されることがないわけではない。しかしそのような場合、公開売り立ての前に著名美術館や、世界の名だたる個人美術品蒐集家(10数年前になるが、アメリカの美術雑誌が現在最も著名な200人の個人コレクターの名前を公表したことがあった)に、購入の打診がなされているようである。ニューヨークのメトロポリタン美術館付属クロイスターズは、私の好きな美術館だが、このヨーロッパ中世宗教美術を収蔵する美術館の宝物室に12世紀中葉の高さ4,50cmの象牙の十字架がある。この十字架がクロイスターズに入るまでの経緯は、並みのミステリー小説のおよぶところではない面白さである(文藝春秋刊『謎の十字架』)。私たちが普段なにげなく観ている作品の来歴には、意外な、あるいは途方もない経緯が存在していることも少なくないのである。 美術作品の履歴をしっかり記録しておくことは大事なのだ。文化がどのように波及したかを知りうるばかりか、一国の経済問題や政治問題が浮き彫りになる。あるいはそうした問題を探る手がかりになる貴重な資料なのである。 映画のなかでどうやら真作と設定されているらしいルノワールの絵が、団地の四畳半と六畳間程度のいわゆる2DKの壁に掛けられているなんて、こんな凄いことはない。きわめて厳しい世界の美術流通経路を経てついにこの団地住まいの奇妙キテレツな一家の手中に渡ったのだから。もちろん私はこの映画のなかのルノワールを取り上げたときから、野暮を承知で言っているのだ。しかも、ある程度は現代の生活視点から。 と言うのは、昭和30年代の日本、この団地の2DKは、なんとモダンで文化的であったことか! 当時の観客は、心のなかで、憧れの溜め息をついていたかもしれないのだ。世界的流通経済に対する感覚が育っていない多くの普通の人々は、〈贅沢ねェ〉という一語でかたづけられる〈憧れ〉の団地生活においては、ルノワールの絵だって、ありなのサ! しかし私の胸のなかに、いつまでも煮え切らなさがあとをひく。嘘になりきらなかった嘘、とでも言おうか。 このような私の視点は、名画の価格に比重がかかった俗物的な見方だと思われるだろうか? そうとも言えるし、そうではないとも言える。 〈美〉の力というものは、みずからの居所にそぐわないと、醜悪なほど〈不調和〉を主張するのだ。おとなしく不調和な場所にいすわらない。掃きだめに鶴などということはありえないのである。美術作品とは、〈精神によって統御された物性〉と〈物性によって統御された精神〉とのアマルガムとしての〈物〉であり、芸術の美とはそのように完全に〈物〉になることができた〈物質美〉なのである。やわな精神主義など立ち入る余地がないのだ。そのような美としての物は、個人の思惑を超えてしまうようだ。 1990年、当時大昭和製紙会長だった齋藤了英氏はゴッホの『ガシェ医師の肖像』を約113億円で購入、さらに同じ年にやはりゴッホの『アイリス』を83億円で、ルノワールの『ムーラン・ド・ギャレット』を約119億円で購入して世界をおどろかせた。そして齋藤氏は、自分が死んだら絵を棺のなかにいれて焼いてしまうと発言し、その野蛮な傲慢さに対して世界中から非難の声があがった。齋藤氏は、金を出して自分の所有となった物をどのように取扱おうと勝手だ、という考えだったのだろう。あるいは齋藤氏はほんの冗談のつもりだったかもしれない。しかしその言葉は冗談として通用せず、野蛮ととられた。法哲学者のジョセフ・ラズは「ゴッホの絵の所有者にはゴッホの絵を燃やす権利があるか」と提議した。つまり美術品として広く認知された物は、たんなる物ではなく、人智の結晶として後世に継承してゆくべき人類共有財産ではないかと問うたのだ。齋藤氏への非難は、そのような認識が人格的に育まれていたか否かに照準が向けられたのである。 ルノワール作の絵画がつながっている世界の状況を、おわかりいただけただろうか。 次に、『しとやかな獣』が公開された当時の日本におけるルノワール絵画の状況をみてみよう。(以下つづく)