テーマ:今日の出来事(292625)
カテゴリ:スピリチュアル
みなさんこんにちは。
芸術の秋、なのか、最近は家で映画のDVDをよく鑑賞しています。 80年代終わりから90年代に見た映画でとびきりのやつを 主人と一緒に見るというのが最近気に入っています。 「今を生きる」「セントオブウーマン」は 青春学園ドラマにカテゴライズされていて驚きですが 久しぶりに見て、さらにいろいろなことをふかーく感じる 本当にすご――――――い映画だと思いました。 人が人たる所以はここにありという秘密が描かれている映画です。 そして「レナードの朝」。 この映画は初めて見た当初はあまりにすご過ぎて 号泣、放心、号泣、放心で疲れ果てたのを覚えています。 久しぶりに見て私がどう感じるのか見ものでもありましたが トラウマ的な感動はほとんど浄化されていて その分また深く洞察を得ることができたようです。 人が人たる所以、というところが どうやら私にはとても大切なのです。 私が育った家庭はいつも私に究極の問いかけをしてきました。 私は自分のプロフィールに赤裸々に自分のことを書いていますが 私の心に究極の問いかけを迫った核心の部分はほとんど何も書いていません。 なぜかというとそれは家族に大きくかかわっていることだからです。 当初「レナード」を見たとき本当に自分の生きてきた家庭の中にあった 様々な問いかけが一気に押し寄せてきました。 それを20年を経てそれがどういうことなのか言葉にすることができます。 人が人たる所以、その仕組み、からくりを解き明かし変化させることのできる人になりたいと 私はその時何よりも強く思ったはずです。 それは、医学や科学には不可能で (それをしていたとしても、学問ではなくそれをする人の在り方が重要で) もし可能性があるとしたなら、哲学?神秘学?神学?スピリチュアリスト?芸術家?… …中でも、愛と心を身をもって探求する人。 そういう人にしかできないのだということを潜在的に理解し 打ちのめされたのでした。 後に私はDrクラズナーのヒプノセラピーの講座に出て 昼休みに六本木のカフェで一人嗚咽しました。 もしかしたら、私の知りたいことがここにあるかもしれないと思ったからです。 そこからさらに10年が過ぎました。 私はこの人生の中に、魂を感じます。 私、という小さな枠を越えて 壮大な力とイマジネーションと創造の源と共にある意識。 すべては本当につながっているのです。… お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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