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デッチアゲられた明治天皇の秘密 1852年11月3日妾腹である中山慶子を母として次男が生まれた。 長男は別の妾腹で生まれたがすくに死んだ。 幼児生存率は天皇家といえども低かった頃であった。 幼名を祐宮と名乗った。 1856年勅命により京都北朝の宮中に転居し正妃准后九条夙子の実の子となる。 深曽木の儀を経て祐宮陸仁なったのが9才の時。 この頃まではホウソウのアバタも無く、 書く文字はどちらかといえばヘタクソであり右利きであった。 ヒョロ男の体重は50kgは無い状態であった。 ところが14才で即位した時は体重が急激に増え80kg程の巨漢に変身する。 字は達筆となり左利きとなったのが魔可不可思議であった。 ほほに大きなアバタがありこれを隠して威厳を持たせる為にヒゲをボウボウに生やした。 京都北朝に対して、 後醍醐天皇時代に約160年続いた吉野の南朝の生き残りを長州で密かに温存したか。 大室寅之祐という得体の知れぬ巨人をおだてたてまっつたのか。 時を同じくして宮中の廃仏毀釈が断行された。 玉地 俊雄 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.07.25 00:00:46
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