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漫画家・写真家玉地俊雄 紫煙のゆらぎ

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2018.07.27
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カテゴリ:紫煙のゆらぎ








      祐宮陸仁親皇と大室寅之祐




田中光顕は土佐藩の人で宮内大臣をしていた。
1929年2月

孝明天皇の次男陸仁親皇は16才当時女官たちと遊戯などをして遊ぶばかりであった。
見るからに虚弱体質で政治力などとうてい期待が出来ない。

だから討幕派は 北朝 - 京都派 の孝明天皇に続いて慶応7年 ( 1867 ) 7月に暗殺した。
そして南朝を称する吉野派の大室寅之祐に成り代わらせ倒幕の密勅を旨した。

10月には正式に明治天皇に成り代わり、
徳川方に体政治奉還させ12月には王政復古の勅令を出させ正式に即位を果たした。
これで北朝系を支えてきた幕府将軍家と会津松平家が南朝系の逆賊となり戊辰戦争と為ってゆく。

明治4年9月2日皇霊を宮中に遷祀する祀で、
男性皇族全員が仏教を廃する事に、
ただのひとりすら抵抗しなかったのはこれらの暗殺とすり替えを目の当たりにしたからである。

大室寅之祐は果たして南朝の末裔か ?
薩長にとっては幕府側を倒す為には都合がよく、
体が頑丈で多少のヨイショに乗る男なら誰が天皇になってもええじゃないかだった。

慶応2年12月25日孝明天皇毒殺。
つづいて陸仁親皇も暗殺されたと聞く。


                                   玉地 俊雄





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最終更新日  2018.07.27 00:00:57



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