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漫画家・写真家玉地俊雄 紫煙のゆらぎ

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2018.10.19
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カテゴリ:長谷川恒男伝






    86年敗退87年再チャレンジ単独テント縦走



恐れを知らない槍穂高地図無し単独縦走行である。
この年で39才になる僕は、
手塚治虫先生と始めて会った大学生の時からズット長く鼻の下にヒゲがあった。






鍋からよそってくれてる手塚治虫さんとその採り箸によるトンスイを待ってるアツガマシ僕。
ヒサ・クニヒコさんは手塚さんの手酌が期待出来ないので自らの手酌で鍋に箸を突っ込んでる。

事ほど左様に、
以前に虫プロダクション無試験入社に人を介して誘われた時に

                玉地さん てっきり30を超えてると思ったんだがなー
と、
言われたようにヒゲに白いものが混じり始めた39才のこの時、
長谷川恒男さんも彼より僕のほうが3ヶ月ほど年下なのに僕を年上だと思っていたようである。







翌日も天気は快晴。
穂高岳山荘上部のテント場から涸沢岳へと向かって登りはじめた。

振り返ると穂高岳山荘が眼下へと遠のく。

しかし、
この日は昨日の日焼けと疲労がドッと襲ってきて体が重くてダルい。







なにしろ昨日はあまりの暑さから、
僕の描いた直筆差の漫画入りのタンクトップに着替えた為、
昨晩は日焼けによる熱が出て妙に寝付けなかった疲労も加わり体調が悪かった。

手塚さんは僕のこの腫の絵を見て
                             この絵誰が描いたの
                             上手いなぁ
と言って、
足しげく来阪するたびに食事をしませんかと電話してきてくれた。
本人は、
気にもしなかったが手塚さんは僕の包み隠しの無い性格と画力を評価していたフシがあった。

そして、
涸沢岳からの下りと北穂高岳南峰との間で体力を使い果たして、
おまけに涸沢岳の最低鞍部付近で水を何故か飲み尽くしたオッサンに水をほぼ飲み干され、
北穂高の山小屋から遠いテント場に幕営するのを諦めて北穂高の小屋に逃げ込んだのであった。






涸沢岳の、
涸沢槍ヶ岳の手前だったが北穂高南峰の放置空きイワシ缶の雨たまり水を目指して頑張った。

濡れた綿のような体と心が北アルプス最初の、
Lpレコード再生を可能にした北穂高小屋喫茶室兼食堂でのリクエストに繋がったのであった。

直ぐ左隣りから
                         あ これモーツァルトだよ






左様モーツァルトの弦楽四重奏曲第14番の明るい出だしが軽妙であった。

これが長谷川恒男さんとのモーレツに親しくなるキッカケであった。
僕は波長が会えば3分で親しくなれるという特殊技能を持つ人でもあったのだ。

実際、
長谷川恒男さんに偶然とはいえ出会わなかっタラレバ僕は近未来的に遭難死していたカモ知れぬ。
これこそ 山気佳日 だったのだ。


                                   玉地 俊雄





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最終更新日  2018.10.19 22:58:21



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