|
カテゴリ:カテゴリ未分類
東京へ戻ってはや10日あまり。
自分を大切に扱うと決めたので、グリーン車に乗って来ました。 深くリクライニングがきくし、毛布もあるし、静かだし、なにより身体がとても楽で、不安だった長時間移動もあっという間に感じました。家を出る前は体調良くなかったんですごく不安だったんです…。 そして、下高井戸駅に降り立ったとき、まるで昨日まで普通にここを行き来していたような不思議な感覚になり… 最後に来た日から1年たっているなんて思えなくて、本当に不思議でした。 青山の病院まで行けるかも不安でしたが、休みながら行くことができて。 先生は独特なパッションのある方で、この病気を治せるのは世界でここしかないと豪語していました。 ずいぶん身体は良くなったと告げましたが、自分ではわからない身体の痛みを気づかされ… なぜこんなにしんどいのか、よくならないのか説明してもらい、すごく納得しました。 全身の筋肉の異常な凝りのせいで、息をしても酸素を肺に送り込むことがうまくできず、全身に酸素を渡せず、血流もわるくなり、うっ血していて、胃腸にも血液がうまくいかないので働きが悪く食欲もでず、食べてもうまく消化できないから栄養も吸収できず身体のエネルギーが作れない、頭もうっ血していて血がまわらないから迷走神経の働きも悪くなり、眠れない、首や肩、頭のひどい痛みにもなり…と、なんでこんなにしんどいのかがよくわかりました。駅の階段を登っただけで心臓が悪いのかな⁉と思うほど苦しくなることも、納得でした。。。 そして、何度も悪化を繰り返すと完治しにくくなり、完治するまでもすごく時間がかかると… 身体が楽になって普通に生活できるようになっても、そこから半年は安静にしたままでいなければいけないということも言われ… まぁ、4割ちょっとは完治してるからと。 初日は私の話をよく聞いてくれなくてちょっといらっときたけど、翌日の初治療のときは、こちらから言わなくても身体中の痛いところをわかってくれて、どんなに今まで辛かったか、どれだけ言っても家族や周りにわかってもらえなくて辛かったか、こんなにわかってくれる人がいるんだと、安心と、今までの抱えていた辛さとがごっちゃになってボロボロ涙が止まりませんでした… 私が気づかなかった場所の痛みも教えてもらえて、お灸と湯たんぽで汗びっちゃりになり、気診治療を30秒ほどされて終了。終わってベッドから降りたら倒れそうになったほど… ありがたかったのは、治療を始めてから夜ぐっすり眠れるようになったこと。 朝まで眠れるようになって2ヶ月超だけど、こんなにぐっすり眠ることができるようになったのは、本当に2年ぶりで。 初診のときは、東京の住まいは引き払って月に1度か2度東京に治療に来たらどうかと言われましたが、治療しながらどうしていくか決めていこうに変わり、身体の反応がいいからしばらく東京にいながら通ってみることにしようということに変わりました。 とりあえず、退居届けもだしたし、そら君も連れてこなきゃいけないし、引っ越さなければとおもっていたものの、やっぱり下高井戸は便がいいし、あーここを離れたくない!と強く思って。 そしたら、その気持ちは何も伝えてないのに、母のほうから、9月くらいまではそら君の面倒はみるから今の住まいにそのままいたらどうかと言われて… 当初は引っ越しなんて無理だろうし引き払ってくればと言っていたのですが。 私にしたら、退居届けをなかったことになんてできないだろうな、という気持ちもあったし、そら君と暮らせるいいなぁと思っている物件もあって、選択肢の一つに入れさせてもらうと言って。 安静に、できるだけ動くなと言われているのに、どうしてもやってみないとわからない私は、体調悪いこと、時間をかけかれないことを伝え、車で連れていってもらえるならと内見に行ったのでした。 不動産も縁だから、もしかしたら…という気持ちがどこかにあったのです。 行ってみて、まぁまぁではあったけど、無理してでも引っ越したい場所ではありませんでした。 そして、とても疲れました。やっぱり無理だと思いました。やりたくない、動きたくないと思いました。ほんとーに、いつも、ここまでしないと私わからないんです。納得できないんです。 そして、翌朝大家さんに事情を話に行き、次の募集もだしてないし、不動産屋さんとも色々あり、あまり相手にされなくなったので、次の人が入るよう動いてくれるのかもわからなかったから、こちらも全然問題ないということでした。ただひとつ、1ヶ月分家賃を払ってないという濡れ衣を着せられ心底腹が立ったので、ここを出ようという気持ちにもなれました。 ようやく戻ってこれた…という気持ちに溺れて、離れたくなくないような思いになっていたので、人の足元をみてそんなことを言ってくるような人のところからはさっさと離れようと思いました。 結局、とりあえずは現状維持となりました。 そして、仕事仲間から8月にCM 、10月に本編の仕事の話をされました。 すごく嬉しかったけど、8月はもちろん無理、10月も無理だろうけどもしかして…なんて、そんな奇跡は起こらないだろうと思いつつ先生に話をしました。 先生からは、今の状態だと社会復帰には2年はかかるだろうと言われました。 さすがにそんなにかかるとは思っていなかったのでショックで…。また泣いてしまいました。家に帰ってからもワンワン泣いてしまいました。 とにかく、動かないこと、安静にしていること。少し体調が良くなると動く、それが病気をどんどん悪化させるのだと。大体の人はいくら言っても麻薬と同じくらいそれをやめられないと。半年、1年で治る人は、自分で動かず全部人に任せて動かなかった人。そうでない人はほとんど悪化させて治るまで時間がかかると。 私が2年間良くならなかったのも、それが原因でした。体調が良いときは少しづつ散歩に行くとか、少しづつ動いていいと言われていました。 漢方薬局の先生には、たしかに動かないように言われてましたし、身体を動かさなくても根を詰めるようなこともしちゃいけないと言われていました。でも、だいぶ身体もほぐれてきているし、少しづつ散歩とか動いていいと言われていたけれど、思うようには動けませんでした。何度も悪化して、動くとしんどくなるということを身をもって経験したので、買い物、美容院もいっさいいかなくなりました。 なんでもっとはやく青山の病院に行かなかったんだろうと後悔の涙も流しましたが、ここまで追い込まれなければ、私の考え方の癖はかえられなかったと思います。 でも、漢方内科医の先生には違和感をずっと感じていたのに、仕方ないと受け入れてしまっていたのは激しく後悔しました。 人間ドックに行けと言われた時点で、本気で考えなおすべきでした。これだけ身体が悪くなるまでにかかった時間のぶんだけ、治るのにも時間がかかるという言葉を鵜呑みにしていました。寝ているしかないと言われました。漢方薬で精神を安定させるお手伝いしかできないと言われました。治せるところがあるならいつでも紹介状をかいてカルテも出すからどこへでも行けばいいと言われました。 ネットで調べても、治療法も薬もないということしかでてこないので、どこに行っても仕方がない、無理して動いてまた悪化させたくないと思ってました。 自分の中の違和感をもっと大切にして、今治療してくれている人全てを敵に回しても、怖くても、どうにかしたいともっと早く動くべきだったと思いました。 でもそれは、今の先生のやり方に納得することができたからであり、いろいろやってみてもどうにもならないということを実感したからこそ納得できたのだということ。 なにより、自分でやれることがあるというのが一番嬉しい。毎日自分でお灸をしているのだけれど、体調悪いのを自分で楽にすることができる。足をほぐすのも、私には得意なこと。とにかく今日より悪くしない、悪くなるとお灸すらできなくなるからと。 治すために自分にできることがあるって、すごいこと。 とにかく自分で動かないよう、ネットスーパーを利用して、シルバー人材センターの方に掃除を依頼して…。 友達にも会うなといわれました。つい盛り上がって話をしていると体力が消耗するからと。 どうやら私が感じていたことは、正解だったようで…。答え合わせをしているような気持ちになりました。 何もかも母にやってもらえるようになったのも、今年の春からで… これが最初からできていれば、1年で治ったのかもしれない。でも、今までの私にはとてつもなく難しいことでした。 だから、時間がかかった。 新潟に帰ってくるまえ、東京であちこち病院に行ってもどうにもならなかったとき、青山の病院を知ることができてたら…とすごく悔やまれました。わかってもらえない苦しみもあんなになかっただろうし、精神的にあんなに追い詰められることもなかったんじゃないかって。いろんな思いが交錯します… あと2年かかること、受け入れました。 どうせ40歳のヘアメイクデビューだったんだから、49歳の再デビューでもいいじゃないかって思えました。 他の生き方があるんじゃないかとか、いろいろこの2年で考えました。 諦めたほうがいいのかな… 諦めなきゃいけないのかな… こんなことになってしまって、何か間違ってるのかな私… と、あれこれ思っていましたが、もうぶれません。でも、違う生き方をしたくなったら、素直にそちらに進んでいきます。 子供を授かることも手放しました。私のお腹を痛めて授かることはできなくても、いつかご縁があれば授かることができると思っています。 今はそら君という息子もいます💕 今後、長期的なことはまだ見えませんが、病人だからとやりたいことを諦めず、動けないからこそ、どう心地よく日々を過ごしていくかを考えながら決めていきます。とりあえず、新潟の冬は寒すぎるので、東京か、暖かい心地いいところで過ごしたいです。 お友だちの方々、とにかく入院していると思えと言われているので、面会時間くらいでよければ、お会いできることもあるかと思います。願わくばスタバの差し入れ希望✨ どうしてもソイラテが飲みたくなるんです。でも今はもうしばらく自分と向き合いますね。 2年たってようやくアイスとか冷たいものを少しづつ食べられるようになってきて。フラペチーノのおいしさにいたく感動しました😆 今年に入って寝込んでからはまた食べられなくなっていましたが、一昨日くらいから少しづつ食欲が出てきました。 今は玄米お粥も売っていて、レンジさえあれば、ほぼいつも通りの食事をとることができます。買い物に行かなくても届けてもらえる、お掃除もお願いすることができる、本当にありがたい世の中だなぁと思います。 そして、こんな状態でも自分がどうしたいのか選択することができる私は本当に幸せだなぁと思いました。 葛藤があっても、罪悪感があっても、選択できる状況を作り続け、自分に許してきた私自身にも感謝です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
のりちゃん
大変な中、近況報告をありがとうございます。 しばらく、東京ですね。 快復の兆しが、見えて、わたしも嬉しいですが、あと二年に、驚きを隠せません。 でも、安静にしていれば、必ず治る。 そんな気がしてきました。 どんな状況でも応援しています。 (2016.07.09 17:35:09)
seiさん
私もあまりの衝撃に言葉を失いました… あと2年もやりたいことができず、動くこともできず安静にするしかないなんてと。 でも、実際なにかしたくてもなにもできないくらい身体はしんどかったわけで、だから動けないわけで… いーや、そんなはずはないとずっと抵抗していたんですよね。。。 さっさと全てを受け入れてさえいれば、と後悔の気持ちもありますが、いずれにしてもこれだけの時間がかかったのかもしれないなぁとぼんやり思う自分もいます。 今は痛みを感じずに眠れること、少しずつ食欲が出てきて食事が美味しく食べられるようになったことが本当にありがたいです。 またseiさんにお会いできる日まで、楽しみにしていますね💕 (2016.07.10 14:12:56) |