流し台設置
チャムトーンに流し台をこしらえる。猫の食器を洗うのに、300mあまりの配管を使って、谷からひいている清水を、毎日のように使用しているが、今まで長い間、排水は庭にたれ流しだった。それでも、雨の少ない季節には、さして問題はないのだが、雨期になるとぬかるみになってしまう。気になって流し台を作ることにした。 外置きのタイル製の流し台を探したが、タイではこの種の既製品の流し台は販売されてない。セメントまで購入して、自家製で作ろうとしたのだが、タイルが売られていない。以前は、たいていのタイル屋においてあったのだが、最近は需要がないのか、どこへ行っても、インチ角くらいの小型のタイルは、扱っていないのだそうだ。以前は、探してもほとんどなかった、床張り用の50cm角ほどの、つるつるの艶のある立派なタイルがほとんどである。木目調の艶のあるタイルは、なかなか品もよく、値段も割安である。コンクリートつくりの床の家が増えたこともあって、硬質の板で出来た床材(「パケー」という)より需要が多いらしい。 20cm角ほどのタイルを使っても、別段困ることはないのだが、結局、既製品のプラスティック製の家庭用の小型の流し台を購入して、利用することにした。 この種の作業をするとなると、歳のせいで、随分頭が固くなり、融通が利かなくなっている自分に気が付く。仕方のないことだが、年をとるということは、筋肉も脳細胞も経年劣化が進み、体の自由もだんだん利かなくなるし、頭はどんどん「頑固」になってしまう。若者に敬遠され、嫌われる老人になってしまったのかも知れない。もう、65才である。 一昨日、村内の若者が亡くなった。先天性(?)の腎臓疾患で、発育も悪く16,7歳になっても幼稚園の子供くらいの体形だった。顔色も黒ずんだ黄色をしていて、いつもむくみがちだった。長い間、寺小僧を務めていて、月2,3回、透析を受けていたようだが、いよいよ具合が悪くなったらしく昨年「還俗」したとのこと。「アイ・タン(姪の亭主)」の遠縁にあたる若者である。目立つ子供で、托鉢などの折時々見かけていたので、いなくなったのはさびしい限りである。 タイでは、生まれつき身体に異常のある子供を、寺小僧として寺に預けるケースは多い。 午後から、犬、猫のえさを買いにロータスへ。なんとなく、眠くて、ロータス内のコーヒー屋台で「ケフェ・ソット(生珈琲という意味)」を、ためしに飲んでみる。「ドイ・チャーン」産ということだが、35バーツ(100円くらい)もするのに、わが家で毎朝飲んでいるコーヒーと比べても味も香りも劣る。本当に、タイのコーヒーは、まずい。ずっと以前、わが家の花壇の植木鉢に植えてあったコーヒーは、めったに味わえないほど美味だったのに、なぜだろう。栽培場所や管理方法を改善すれば、美味しいコーヒーが取れるだろうに。焙煎の仕方にも問題があるのかもしれない。 そろそろ、1年分のコーヒー豆の買い付けに出かけなければならない頃。今年は、コーヒー豆の国際価格の値上がりもあって、山のコーヒーも高くなっているかもしれない。