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空の写真をアップしていて、
もっともっと見えるものをありありと見なきゃと思う。 まだ餅つきの板がより見ようとしている。 杉の板でかなり年代物。 子供がかわいいのは子供を攻撃させない武器だという。 それは子供が生きていくためにDNAに埋め込まれた種としての戦略なのだ。 子供の生存率を上げることが必要だ。 子供は猿もかわいいし、犬や猫もかわいい。 同種以外にもかわいいという感じる人間は、 ひょっとすると最大の加害者だったのかもしれない。 しかも同種の人間に対してもである。 ひとってのは敵か味方かで判断する傾向がある。 敵意を感じると相手に正常であれば殺意を抱く。 敵意を感じて悲しみを抱くのは屈折している。 しかしある知的な作用がそこにある。 敵意は受動的であり、偶然にも、 敵意を感じることで自己の敵意が発生する。 奇妙なメカニズムだ。 時間が経てばどちらが先に何の理由で敵意を感じたか、 その歴史は分からなくなり、 お互いの敵意だけが遺跡のように現存する。 敵意は個に向けられることもあれば、 世間や民族全体に及ぶこともある。 敵意はDNAに組み込まれた自己保存本能である。 四六時中、敵意を感じながら生活するのは苦痛である。 しかし、ちょっと距離を置いた関係であるならば、 相手の意志や思惑をくみ取ることができる。 そしてどれだけ考えても相容れないこともある。 個人の能力や環境や学習の限界で、 彼らはその役割の選択をしたのだ。 単純に個のせいに帰するのもむごいことかもしれない。 ヘンリー・ミラーが言った、 「自分自身が最悪の敵だった。」 という言葉はいつでも噛みしめたいと思う。 限られた時間と能力と体力の中で格闘していくしかないのだから。 たまに石を投げてみよう♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/12/31 10:39:21 AM
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