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Welcome  BASALA'S  BLOG

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ちん○

「ちん○」


◯に入れるのはどんな文字か? 例えば「こ」だとしたら、どんなイメージになるだろう。「子どもの」「小さい」「かわいい」「未熟」そんなイメージを抱くのではないだろうか。
また、「ぽ」という可能性もある。これだと、余り違和感がなく、「通常の」「一般的な」「健全な」ものを指すように感じる。
それでは「ぼ」ではどうだろう。「間伸びした」「元気のない」「年寄り臭い」あるいは「老獪な」といったところだろうか。いずれにしても、ダラリと伸びた感じ、大きな感じ、もしくはしぼんだ感じがするように思う。田舎の老人が使う言葉のようなイメージだ。
はたまた「ほ」が入るとどうだろう。言葉としては存在しないかもしれないが、前述の変化の最終形と考えれば、イメージできそうだ。「枯れた」「カサカサの」「つましい」「縮んだ」「散華間近」といった印象になるのではないだろうか。年齢に置き換えてみればわかりやすい。「こ」が子ども、「ぽ」が青年・壮年、「ぼ」が老年、「ほ」が長老といったところだ。

いや、別に「ちん○」の論評をしているのではない。言いたいのは、文字には一つ一つに印象や意味合いがあるということである。例えば、自動車のナンバープレートで言うと、「足立」「品川」「神戸」と比較して、「なにわ」と聞くとどういう印象を持つだろうか「もっちゃりしている」「田舎くさい」「ダサい」と思った人が多いであろう。これは「和泉」と共通の印象でありながら全く違う理由がある。
それは、「平仮名である」ということだ。「浪速」もしくは「浪花」と書くのとは全く違うもっちゃり感がある。平仮名であるからだ。「な」と「に」はな行、「わ」はわ行で、どちらも発声が丸い。た行、さ行、ら行のように、舌を使って歯切れよく発音する音(おん)や、あ行やか行のように、前に出すアクティブな音とは違い、鼻腔や口腔を使って丸く発音する。ここに「もっちゃり感」を感じてしまうのである。
「和泉」には「地方感」が、「浪速」や「浪花」には「古臭さ」がつきまとい、もっちゃり感や田舎臭さ、ダサさにつながっている。

平仮名はある事象を言葉にするときの原形であり、言葉の構成員でしかないという考え方もある。しかし、前述のように、その音や姿には少なからずイメージを持っているはずだ。最もその存在が面白いと感じるのは「は行」である。は行は息を使い歯切れよく発音する。しかし、どこかダサいイメージがある。一体なぜかと考えてみた。ようやく答えが見つかった。濁音である。
濁点をつけると「ばびぶべぼ」となる。これがいけない。どれもいやなイメージの言葉に使われることが多い。音の強さゆえの業である。「ばばあ」「ぶた」「でぶ」「ぼけ」「だぼ」「べー」いずれもよくない。

平仮名と同様に、数字にもちょっとしたイメージがある「1」「3」「5」「7」はシャープなイメージがあり、「8」は安定感がある。「2」「6」「はイマイチで、「4」「9」は、音から来る悪いイメージが伝統的にある。
昔、『チキチキマシン猛レース』というアメリカのTVアニメを見ていて思った。アメリカは日本と数字に対する印象が違うので、4番や9番がカッコいい車になっている。5番がアイドル的な女性。
日本人なら、多分1番と7番にカッコいい車、3番が女性、悪さをしたり、いやな人間の乗る車が4番、9番、5番にはさり気なくアイドルを救い、カッコいい車よりある意味カッコよく見える主役。脇役の愉快な存在、盛り上げ役の車は2番か6番にすると思う。多分。オーソドックスな日本人の感覚として。

こういうふうに見てみると、ちょっとしたところに文字のイメージが存在し、予想を超えて幅をきかすこともあるはずだ。もしそれが、自分の趣味や特技の分野で発揮されてしまってはたまらない。例えば車が大好きなカッコいい男性がいるとする。カッコよくお化粧され、チューニングされたカスタマイズカーにファッションバッチリのハンサムボーイ、ところが、車についたナンバープレートは
「なにわ349 も 96-42」
しかも、日本人的ゴロ合わせをすると、「苦労・死に」。
撃沈!


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