読書の秋ですね
昨日は結局、人工精霊のお話を書いていてメンテナンス前にupできませんでした(泣)。でも、メンテナンス終了まで待ってからupしたので善しとします。逆に眠たさに負けて最後まで書ききれなかった悔しさが残るばかりです。ていうか『そこ現』upしていないし…。いったいどこまで話が脱線するのか自分でもわかりません。これがこのブログの本来の形式だし、まあいいかなと思いましたけど…ダメか…。 おかげで今日一日はじっくりとヨーロッパ史の勉強ですよ。錬金術に関してはいろんな本で読んだ知識があるとしても実際の世界史はあまり得意じゃないです。でもあらためて歴史をネットで検索してると、これが事実の歴史だけに本当に事実は小説より奇なりなんですね。東ローマ帝国の興亡にすっかり魅せられてしまいました。学生時代になぜ世界史をきちんと勉強しなかったのか悔やまれます。当時は全然興味なかったですからね。こんなことなら教科書も置いておくべきだったのかもしれません。たぶんあれは先生が面白い授業をしてくれなかったせいだ…、なんてことは言いませんけど、後悔先に立たずです。この秋晴れの天気のいい日に家でなにやってんだかと思いつつも不思議な充実感がありました。そうか…これも読書の秋なんだ。明日は元気に外に出よう!それではまた…。<昨日の続き>我ながら『からくりサーカス』なみの歴史を考えてしまいました。4世紀頃から17世紀までのおよそ1300年です。正直これだけで一つの物語みたいになってしまいました。『そこ現』のサブストーリー的なものを書いているつもりでしたけど、ここまで来るとやり過ぎですよね。でもこれからの話を書く上でも人工精霊は欠かせない存在ですし、それらしい歴史をキッチリと構築しておくのも世界観のために必要なのか知れません。それなら逆にもっと掘り下げてみるのもいいなと思いましたけど、時間が無いので無理かなぁ。それでは続きを…。ちなみにタイトルは『彼の本』です。彼の本は錬金術というよりも人体の構造に関する医学書のようなものでした。内容は現代で言うところの解剖学から始まり、精神を創造する理論、魂を召還する方程式などです。ただ解剖学を除いては失敗した実験の膨大なデータと裏付けの無い理論だけに当時の錬金術師たちはそこに何の価値をも見出すことが出来ませんでした。そういう理由で彼の本は錬金術師たちよりも一部の医師たちに写本として広まっていくことになりました。その研究が1000年の時を経てようやく時代が追いつくことになります。パリの錬金術師ニコラ・フラメルの手に彼の写本が渡り、ニコラ・フラメルの持つ錬金術の知識と彼の描いた理論の一部が合致することから、その本の価値が認められることになりました。その後、錬金術師であり医師でもあるパラケルススによって、その本に描かれた理論が次々と実証されました。発達した錬金術が彼の研究を裏付けると同時に彼が認めなかった実験結果も完成することになったのです。それでも彼の書いた本はごく一部の錬金術師たちを除いて広まることはありませんでした。というのは当時とはまったく同じ材料が手に入らないので、代用品での実験となり、成功もまた稀だったからです。中にはその本の信憑性を疑う錬金術師も現れました。また皮肉にも医学が彼の本を必要もしなくなるくらい発達しました。そうして一時期に大量に出回った彼の写本は歴史から姿を消す結果になります。一方でホムンクルスの製造にこだわる錬金術師たちは本の内容に関する実験を試行錯誤しながら繰り返し、ドイツの錬金術師カルトンが偶然にも同じ結果を発見しました。16世紀末のシュトラスブルクにほど近い田舎の農村で研究を重ねたカルトンは彼が失敗したと認める精神の練成で生まれたものを人間が持つ精神とは似て異なるものと考えました。司祭の父を持つカルトンはキリスト教の知識も豊富で自身も教会の神父という立場であり、これを人が作る精霊のようなものであるという結論に達しました。それが世界最初の人工精霊だと言われるものです。それは弱い光を放ちながらフワフワと空間を漂い、意思も無く、数週間で消滅してしまうものでした。それでも精霊と認める理由に聖句や聖水に反応したり、物理的に封じこめることが出来たり、気象条件で色や形が変化すると言った現象が観察されたからです。やがてカルトンはこの人工精霊の研究に没頭するあまり、異端者として教会を追われます。そしてフランスとドイツ、イタリアと放浪を重ね、ついにはヴェネツィアで息を引き取るまでに73のさまざまな人工精霊の創造に成功しました。カルトンが創造した73の人工精霊はカルトンの死後、弟子のアランが人工聖霊同士の合成や精製を重ねて個体数を減らしていくうちにどんどん知識や知恵を吸収しカルトンが目指した本当の精霊としての力を持つようになります。最終的に意思を持つまでにいたった人工精霊は22でした。そして意思を持たない人工精霊は12で、合わせて34の人工精霊が生まれることとなったのです。ただ不思議なことにその後はアランがいくら研究・実験の繰り返しても生まれる総数が73を越えることはなく、また意思を持つものは生まれませんでした。それは人工精霊の定数と呼ばれることになります。また一般にこの意思を持つ22体を指して人工精霊と呼び、意思を持たない12体は擬似精霊と呼んで区別されるようになります。そしてアランの死後、この人工精霊を作り出す技術は封印され、錬金術の衰退と共に歴史から消え去りました。残された人工精霊がその後どうなったかは誰にもわかりません。一説にはサン・ジェルマン伯爵が手に入れたとも言われていますし、ドイツの人形師がアランの晩年に譲り受けたとも言われています。最後に彼の名は残っておりません。でも彼の本の名は『進むべき希望』だったそうです。